おなじような1日、と表現してしまうこともあるのですが、目を凝らしてみてみると実はおおまかな表現としての「おなじ」であり、実際には違うということがわかってきます。
たとえば忙しい日々は誰にでもあります。忙しい日々と表現してしまえば、どこをどうとっても同じになります。ケースにもよりますが、そこから掘り下げていくこと、具体的にどんなことがあったのかをつぶさに見ていくことで、忙しい日々の詳細がわかってくるようになり、伝わってくるようになるのです。
今月に入ってから、文字通り忙しい日々を送っています。
平日はほぼ残業です。早出もあれば残業もあるという毎日を過ごしています。
それだけで片づけると、同じような日々になってしまいますが、中身を見ていくとその日その日で内容が異なってきます。ということは、同じような日々でも、実際は独立した1日であるということがわかってきます。そうです。1日とて同じ日はないのです。
ただ、感覚として、同じような毎日を過ごす、というのはあります。そう感じてしまうのは、勿体ないか、またはかわいそうかのどちらかになります。その人だけが生み出せる特別な1日をそのように片づけてしまうのは、本当に残念でなりません。そうならないように祈るのみですが、それを後押しするのはほかならぬ自分自身になるのです。
明日も明後日も忙しいことはわかっています。
その中でも、どのように1日をやりくりしていくか。
身体よりも頭が疲れていますが、頭の中は明日のシュミレーションでぐるぐる回っています。