晴れ間が戻りました。
気温も週末に比べると上昇したものの、最高気温の予想が20度に満たないようです。
半袖は、厳しいかも。
しかしながら、晴天はやはり気持ちがいいものです。
今週の天気予報を見てみますと、6月にしては寒い日がこれからも出てきそうです。
このような天候が続きますと「冷夏」ということばが浮かんできます。
果たして、今年の北海道の夏はどうなることでしょうか。
世界の出来事も、そして天候も、なかなか順調にはいかないようです。
そもそも、想い通りに動かす、させるという考えが、何かのリズムを狂わせたのかもしれません。
ニセコ・カリンパニで行われた瞑想合宿。
合宿のコースが行われる前に、ぼくは現地に入りました。
ワークデー期間として2日間ほど、先に現地での生活を行います。
今回は「奉仕者」として、合宿に参加をすることになりました。
奉仕者が担当するところはキッチン(食事の提供)、施設内の清掃、コースマネージャー(生徒さんの対応を主として行う人)、ケアテイカ―(コース期間中における外部との連携及び窓口担当)に分かれます。
ぼくは他数名の奉仕者とともにキッチンの担当となりました。
というのも、奉仕するひとの最大の役割は「食事を提供すること」にあります。
生徒さんと奉仕者、アシスタント指導者のぶんの食事(食事は朝昼2回、夕方はティータイムのため飲み物とフルーツ)を提供することが最大のミッションとなります。その他、施設内の清掃や備品の補充など付帯するものは出てきますが、全バランスの7割以上を食事の用意に注ぎ込みます。
ワークデーでは、キッチンの備品と食材のチェックや器具を事前に使用していきました。
ここで、ひとつ難関が。
炊飯ですが、炊飯器がガス釜でして、うちひとつが最大10合炊けるもの、もうひとつは最大30合炊けるものがありました。
お米をとぐ量も、炊飯するための水の量も必然と多くなります。
お米は白米、玄米の2種類あり、お米別に水の分量も変わります。
加えてガス釜。以前は使用していましたが、使い方に必ずしも慣れているとは限りません。
安全に使用できるかどうかが、カギだなと感じていました。
事前にワークデー参加者に対して食事の用意を行いながら、キッチン内の把握を行います。
火の扱いは自然と慎重になります。勝手が違いますからね。
家庭では普通に料理をしていましたが、自分が気づかないうちに完全に委縮。
その場にある食材を見ても、何を作ればいいのかまったく浮かび上がっては来ませんでした。
何が、そうさせたのだろう。
緊張する必要もないのに。
今では、普通にそう考えます。
集団行動に不慣れとか、そうことではなく。
目の前の現実に、その時は不安しか存在していなかった、というよりほかなかったと思います。
そこで、出鼻を挫く、どころか、完全に精神を打ち砕かれる出来事が起きてしまいました。
ニセコ・カリンパニにおけるコースの開催は、男性・女性ともに単体の、別々の日程で行われました。これは、コースを行ううえでは珍しいことなのだそうです。千葉や京都で行われるコースの開催は、男女共同で行うコースのみになっています。
男性コースが行われる前に、女性コースとこどもコースが行われており、キッチンでのノウハウや実際に提供した食事のレシピなどが引き継がれました。
その際、ガス釜の使い方についても多少の引継ぎがありました。
大きい方のガス釜は最大30合。これは白米の場合で、玄米となると可能な範囲は減ります(炊くために必要な水が白米よりも多いため)。そのため、炊飯中は少なからずふきこぼれる事象が発生していたとのことでした。そのふきこぼれを解消する手立ても教えてくれていたのですが、ここで予期せぬことが起きてしまいました。
ガス釜の炊飯に関してネックだったのは大きい方のガス釜。小さい方のガス釜は過去に使用したことがありましたので、大きい方のガス釜を安全に使用することが大きな課題であったのですが、その大きい方のガス釜で問題を起こしてしまいました。
白米の炊飯は問題ないと感じていたので、玄米の炊飯をマスターするため、大きい方のガス釜では期間中主に玄米を炊飯していました。このときも玄米を炊飯していたのですが、ここで起きてしまったトラブル。
それは炊飯釜を大きく焦げ付かせてしまったことでした。
ガス釜の場合、仕組みはどうなっているかはわからないのですが、炊飯が完了すると点火レバーが戻り、火が自動的に消えます。しかしこの日、炊飯のレバーは一向に戻る気配がなく、焦げ臭い匂いを感知して手動でレバーを戻し、火を消しました。
フタを恐る恐る開けてみると・・・そこには無残な姿が。
10合以上、玄米を炊いていたのですが、その半分以上が黒く焦げてしまっていました。
この模様を見て、一気に顔面蒼白に。
食欲なんてものはなくなり、そしてどこからやってきたのか、身体のあらゆるところに痛みが襲い掛かります。
この日は何とか瞑想を行いはしたものの、早々に横にならせてもらいました。
苦しさだけが、波のようにじぶんの身体を包もうとしている。
コース開催前に起きた出来事がどうなるのかなんて、この時点では何も考えることは出来ませんでした。