つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

言葉遣いはその人の人格を映しだす鏡と知るべし。

ASV(アシスタント・スーパーバイザー)として勤務した2か月では、さまざまな体験と収穫を得ることが出来ました。

 

収穫と言うよりは実感なのですが、改めて人と接してわかったことがあったのです。

 

 

 

それは「言葉づかい」。

 

それは誰にでも当てはまる、コミュニケーションの基本となるものです。

 

 

  

言葉づかいは

 

「電話対応」

「メール対応」

「質問受け」

エスカレーション」

「研修」

 

など、幾つもの場面において立場を踏まえた対応が求められます。

 

 

対顧客対応に関しては丁寧な態度で。

同僚や社員さんに対しても丁寧な態度で。

その1点を忘れずにいました。

 

ここでいう「丁寧」とは、ひとつは「わかりやすさ」であること。

わかりやすさがなければ、言葉づかいの力も半減してしまいます。

 

 

 

役職者として立つ以上、言葉づかいやその伝え方、そしてわかりやすさなど、幾つかのポイントを重視して取り組むことが出来たと自負しています。それでも反省点はあるもので、どうしても読解力が追い付かなかったり、知識の吸収力が若い頃に比べ遅くなってしまっていることから、同じ立場の方やオペレーターさんには一時でも不愉快な気持ちにさせてしまったという実感もあります。それゆえ、能力値の限界はあっても、その限界に近づきたいという想いがありますし、そこを越えていきたいという願いがあります。それを実現させるためには、鍛錬も、そして実践も必要なのです。

 

先日職場で最終日を迎えた際、別れを惜しむ(ほんとうにありがたい)声の中には

 

「話し(説明)がわかりやすかった」

 

という評価がありました。

 

 

 

これは意識してきただけに、実際にそのように感じ、評価してくれたことがとても嬉しかったです。

 

ただ、このわかりやすさも使い分けが必要です。

 

わかりやすさが求められるシーンは、研修のときやフィードバック、質問受けに対する返答の時など、いくつかあります。が、業務に入りますとわかりやすさの他に求められるものが出てきます。

 

それは「理解力」。

または「読解力」。

 

インプットしたものを咀嚼してアウトプットする時に必要な素質のひとつです。

 

 

 

ぼくもこれが満足に出来ていた訳ではありませんが、ある程度の評価をいただきました。

その根底には「日常的な言葉でわかりやすく話す」という指標があったから。専門的な言葉を用いての説明ならば、その分野の人ならば誰でもできますが、その専門的なことをなるべく日常的な語句を用いてわかりやすく説明するのは、意外と大変です。ある程度の練習、鍛錬がなくては中々出来ないことだと思います。

 

それは本に書いてあることも同様で、解りやすい文章は疲れないですし、理解力や創造力も働きやすくなります。独特の表現に欠ける部分もあるかもしれませんが、ごく普通の言葉で表現豊かに書かれていると、言葉の奥深さを改めて思い知ります。

 

そういった体験をしているからこそ、無理に専門的な言葉を憶えて使うのではなく、日常的に使っている言葉で表現することはできないか?と思うようになっていました。その訓練の場のひとつとして、このブログがあります。図らずも職場でその実践が出来たことはたいへん良いことであり、勉強と共に反省をたくさんしました。そしてその甲斐あって、本音という評価をいただくことができました。ほんとうにこれは、ひとつの大いなる自信につながります。

 

 

反面、反省という訳ではないですが気を付けなければならないなと感じたこともありました。

 

それは「1言ったら10理解しなさい」というもの。

とある分野においては「忖度」という言葉で一時流行したと思います。

要は「これだけ言えばわかるでしょ!?」という感覚のものです。

11月までいた職場には、頻繁にこの空気が流れていました。

この空気がうまく働けばよかったのですが、実際はその逆だったのです。

 

なぜかと言いますと、「一回教えたんだから理解してるでしょ!?」という空気がその場を支配してしまい、一部のひとに質問をすることが怖くて出来ない状況になってしまっていたのです。

 

さすがに、これはいけない、と思いました。

 

慣れている人はそんなのお構いなしに質問と確認を行っていたのですが、担当の社員さんが出しているオーラは、パートさんにとっては脅威と恐怖そのものであり、コミュニケーションをとることすらも躊躇するものとなっていました。

 

だからこそ、ぼくの説明や言葉遣いが余計にわかりやすく感じていたのかもしれません。

 

 

 

このような背景から、社員という立場はなかなか大変なものです。

業務を滞りなく運営するために、かなり骨を折らねばなりません。

その骨を折る部分をどこに重点的に充てるかによって、周りの目と印象は大きく変わっていくことを知らなくてはならないのです。

 

今回出稼ぎに行った職場は、いい意味での教訓という意味で、やっちゃいけないことをやってしまっている運営に見えました(あくまでも個人的な意見です)。

 

そのため、細かいところではありますが、業務運営に影響が出ていたものと感じています。

以前の日記にも触れましたが、わたしたちは「見る」という行動から多くの情報を得ようとしています。見る対象は目に見えるもの、見えないもの両方です。その点を意識していないと、大きく躓いてしまいます。

 

 

 

また、パートさんは研修を行っているものの、素人寄りの立場にいるのだということを忘れてはいけません。長期の業務であるならばまだしも、短期間での仕事の場合、パートさんと社員さんの考える「幅」が大きくことなります。それを念頭に置かずに話を進めてしまいますと、ぐうの音も言えないほどのことを言ってしまっているという局面を作ってしまいます。そのような小さなミスが、後々大きな影響として出てしまいます。

 

 

 

言葉遣いはマナーも加わりますし、集中力なども大きく関わってきます。

反面、先入観は大きな誤解を生む要因になりがちです。

この言葉も実は「印象」を評価付けする要素のひとつになっていることを自覚しなければならないのではないだろうかと深く考えました。

 

仕事は出来ても、言葉遣いが上手でなければ。

残念だね、と言われることが、その先出てくるかもしれないことを考えると、今からでも遅くないと思うはず。

 

言葉には、その人の人格がはっきりと映し出されている。

それはつまり、言葉はいきものだと、ぼくは言いたいのです。

そのいきものをどのように扱い、活かしていくか。

そのように考えると、決しておざなりにはできないものだと、ぼく自身改めて痛感しました。