つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。このたび不定期更新に切り替えました。

「合理化」は何色か。

「合理化」って、結局は謳い文句のような気がしています。

 

宣伝する側は「わが社はこんなにも最先端なんです」と誇張するのに対し、

実際は「ひとりの社員に複数の、時にはキャパを超える仕事を課す」ことが目立つ。

 

そんな光景を見てきたように思います。

 

 

成り手不足というのも、この合理化に拍車をかけています。

ひとり二役とは聞こえはいいです。そんな時代もありましたが、今はひとり三役以上になった肌感覚があります。業務はシンプルなものから段々と煩雑化していっていますので、ひとつの仕事に取り掛かる時間が長くなりがちです。そうなるともう定時で仕事を終わらせるのが難しくなってきます。残業のつくつかないはあるでしょうが、そのひとりの社員に任せるしかないというのは、やはり問題だと思います。

 

合理化は、企業にとっては人件費圧縮のための貴重なタネです。

しかしそれ以外は恐怖の呪文のようにしか聞こえません。

こんなに乖離してしまっている用語は他にあるでしょうか。あるかもしれませんね。

個人的には、未開の地に移住して開拓者になろう!という甘い誘いと同等に思えます。

 

 

企業側はこの「合理化」を何色にして見せているんだろう。

わたしたちの側から見れば、「合理化」は「ブラック」に見えてしまう。

 

この合理化路線を脱却する方法はないのだろうか。

外国人労働者も限界があります。

このままでは、合理化は暴走してしまうと勝手に心配しています。

壁に跳ね返されるか。ブレイクスルーとなるか。

年度末で月末の処理を行っていますが、独りだとどうしても処理待ちのものが出来てしまいます。そうなるとどうしても「出来上がりに時間がかかる」状態となり、提出等が遅れます。そうならないように考えて工夫を試みていますが、そういう時に限って「イレギュラー案件」がカットインしてきます。これはもうあるあるですね。

 

 

一応、1日の計画を立てています。そのタスクが多い日もあれば少ない日もあります。ひとつのタスクでも手掛ける時間が長かったり短かったりと変化があるため、タスクを見るだけでは仕事量はわからないのですが、郵便や宅配便で書面等が届きますとその時点でタスクが増えるので、それを見越した処理行動を取っています。

 

一番の問題は「慣れ」や「経験」です。

未熟だと、わかっている業務でも時間をかけがちです。もしくは確認の時間を長めにとってしまいます。そうしてしまいますと処理自体が伸びてしまい、タスクが溜まることにつながります。現在はここが一番のネックで、これはもう数をこなしていくしかないとあきらめています。

 

 

早出や残業も行っています。そうしないと次の日にも手が付けられない業務が出てくる可能性があるからです。なのでその日のうちにある程度めどをつけてしまいます。処理の他にも管理面での整理整頓等もあるのですが、優先順位が低いので今のところ後回しになっています。日常のこともそうですが、時間が出来たときに何としてもやりたいです。これはもう、録画番組の消化に近いものがあります。

 

 

 

こんなことをやっていくにも、肝心の資本は心身になります。

食事はもちろん、睡眠もしっかりとらなくてはなりません。

健康を疎かにしてしまうと、停滞どころではなくなります。

そうならないためにも、自分を客観視していく必要を感じています。

 

 

3月からぼく自身への負担は増えています。これが減ることはなかなか考えにくいです。であれば、この状況をどうにかしてコントロールしなくてはなりません。この環境に押しつぶされるか、それとも、この環境を土台にしてセンスを開花させるか。個人としては戦々恐々でありながらも、少々楽しみでもあります。休日は休むことに集中してしまうかもしれませんが、ずっとは続かないと信じて、今はただ没頭したいと思っています。

節目。

ここ最近ずっと忙しくさせてもらっているので、気づくのに時間がかかってしまいました。

 

 

このブログをはじめて結構な時間が経過しています。途中更新が途絶えたこともありましたが、細々と続けてきました。その結果

 

記事数が3000を超えていました。

まぁよく書いたなぁと自分でも思います。

 

中には「休みます」という記事も数本あるのでそれもカウントされるのは少々恥ずかしいですが、それでも大きな大きな節目です。記事の内容は変遷していますね。

 

当初は自分で仕事をしていくために開設したブログで、日々の奮闘ぶりを更新していました。しかしうまくいかなかったため勤め人に戻ることを選びます。その後縁があって移住し、地域おこし協力隊として1年活動し、現在の職業に就いております。自分の置かれている状況に合わせて書くことを選んできたように思いますが、現在は主に読んだ本の感想や創作、そして新聞記事を取り上げたりと、いたってふつーの内容になっています。

 

ブログを始めた頃は相応の野心のようなものを持っていましたが、現在は「続けていく」ことに集中しています。書くことを目的としていますので、記事の質といいますか、内容は毎回上下しています。それでもいいのです。文章を書くことが自分にとっては大切なことなのですから。

 

記事数が3000を超えましたので、次は4000を目指すことになります。約1000日後、自分は何をやっているのか、密かな楽しみでもあります。そして、変わらず書くことが好きないきものでいたいと思っております。

年度末のねこ。

本日で2023年度も終わりです。

 

 

週末は晴れているものの、とても強い風が吹いており、吹き飛ばされそうな勢いです。

 

 

そんな中、うちのねこは

ひなたぼっこにいそしんでおりました。

 

寒さはさほど感じなくなってきたものの、寒さはまだ続きます。

暖房もまだしばらくのあいだは稼働しています。

ねこの調子は上下していますが、今月も元気に過ごしてくれたようです。

 

 

 

明日から新年度が始まります。

 

個人としても、昨年度までとは変わった環境での生活と仕事が待っています。

周りからは「無理ゲー」と言われていますが、個人としての感想は複雑なもので、「この環境で自分を追い込んでみる」とか、「どこまでできるかやってみる」といった、あまり現実感が感じられない意気込みになっています。

 

つまりは、「この環境を楽しむ」みたいな感じでしょうか。

そのため、自分である程度のコントロールをするため、見落としが起きないようにタスク管理を可能な範囲で行ってみることにしました。デスクに張り付く時間が大幅に長くなってしまいますが、残業時間も飛躍的に増えてしまうと思いますが、納得いく形に自分が受け持つ範囲の職場を把握したいと考えています。

 

それを可能にするためには、何よりもまずは健康です。

風邪などひかないように気を付けたいと思います。

 

 

明日からも、どうぞよろしくお願いいたします。

令和6年3月の創作⑤

あの日

 

札幌から最低限の荷物を持ってここにやってきた

 

あの頃がとても懐かしく思う

 

そこからは忙しい毎日であったように思う

 

溶け込まなくてはという想いと

 

色眼鏡で見られる現実に苦しんだ

 

そうして何とか次の場所を見つけて今に至る

 

札幌を離れてきょうで7年目に入る

 

もう都会に戻る気持ちはない

 

もともともう住めないと感じて離れた場所だから

 

このまま地方で生きていくしかない

 

いまは地方で生きるほうが息を吸い込めるような気がする

 

生きるために血管を通して血を巡らせることができているような気がする

 

明日からどうなるかはわからない

 

人生は旅だ

 

人生は冒険だ

 

人生は成功と失敗の繰り返しで

 

歓喜と号泣の繰り返しだ

 

山あり谷ありの時間を真正面から受けて

 

これからも生きていく

 

この場所で生きていくと決めた声は

 

この大地には届いていると信じている

 

 

 

 

【移住記念日の詩】

令和6年3月の創作④

「お世話になりました」

 

この文章を一番よく見る時期になった。

 

東京では桜が咲いたそうだ。

 

 

 

 

「おはようございます」

「おつかれさまです」

 

という日常のあいさつが多い中、この時期はその場所を去る人からのあいさつが少し多くなる。淡々と御礼を述べる人や、これまでの苦労を端的に述べ、感謝を伝える人など様々で、その文章には「お世話になりました」という挨拶が加えられている。それは礼儀というひとつの美しさがもたらすものであり、日本人という特性が生んだ文化であるように思える。

 

この時期は少し寂しくなる。

 

翌週になれば新年度になって、新人さんや中途入社さんなどが配属されて、つかのまのフレッシュな空気に包まれるんだろうけど。

 

わかってはいるけれど、これまで普通にいた人がいなくなるというのは、寂しさを感じてしまいます。

 

 

結びに「どうかみなさんお元気で」といった文章で締めくくられる。社交辞令だとしても、すべての人にその願いを伝えるというのはとても尊く感じます。その心がわたしたちを育ててきました。それは今後も続けていくべきものだと感じました。

 

 

休み明けはどんな景色になっているのでしょうか。

 

今日は風が強く、雨も多く降りました。

自然もどうやら、あいさつをしたがっているようです。

 

 

「あいさつの詩」

「避難」を想定内にする必要。

北海道新聞3月3日の総合、2面のアングルにおいて、「駒ケ岳 進まぬ避難準備」という見出しが載りました。最近では火山活動が活発化している報道もされていましたが、少しずつ脅威が膨らんでいる印象があります。

 

記事を読み進めていくと、森町(もりまち)、鹿部町七飯町の3町は避難指示を出した場合、自家用車かバスで国道に避難し、近隣の街や函館市に避難誘導することを想定しているそうです。しかし具体的なプランはこれからということで、厳しい言い方をしてしまうと、なかなか悠長なことをやっておられる、というのが率直な感想です。

 

その理由は「火山の噴火」が想定外になってしまっているからだという一言に尽きます。自然災害は地震津波が現実的ですが、噴火は非現実的です。テレビの向こうで起きる出来事でしかない、ということなのです。前の噴火はおよそ100年前ということですから、生きた証言を得られるわけでもありません。そのような中で策を練り上げるのはかなり難しいことなのだろうと同情してしまいます。

 

しかし、だからといって何もしないでは何か起きたときに非難されるのが関の山です。策を使わないことが一番ですが、最悪を想定したプランを練り上げ、徐々に浸透させていくためにも町民全員を対象とした避難訓練を繰り返し繰り返し行っていくしかないのではと思います。地道に、そして冷ややかな目で見られるようなことではありますが、行政はその土地の住民を護ることも立派な仕事のひとつです。どうか最悪の結果を招いてしまわないためにも、十分過ぎる内容の避難計画をまとめて欲しいと願います。

 

 

加えて、この計画は北海道や国も参加して練り上げる必要があります。

そうしないと絶対に混乱が起きます。

本年1月に衝撃的な地震災害を目の当たりにしたばかりです。

これからどんどん、想定外の災害が増えていくことでしょう。

地方自治体に任せるのではなく、国を上げて取り組んで欲しい事項だと、個人として思います。

久々の懸賞。

懸賞当選は忘れた頃にやってきます。

 

災害は忘れてもやってきてほしくないですね。

 

 

すっかり忘れていましたが、このような連絡をいただきました。

 

MORIHICO.さんです。

 

毎年購入している福袋に封入されている「宝くじ」アンケートがあり、せっせと応募していたらやっとのことで当選しました。素直に嬉しいです。

 

maruyamabase.hatenablog.jp

 

当選品の到着はまだ先ですが、何が届くかお楽しみ。地方にいる身としては嬉しい限りです。

 

さて、札幌のカフェの代表格のひとつになっているMORIHICO.ですが、札幌市の他に旭川などにも店舗を設けています。実はまだすべての店舗に行ったことがなかったので、今年は全店舗回ろうかなと考えていた矢先、旭川の店舗が閉店になることを知りました。ざんねん。旭川旭川で支持されているお店があるのかもしれないと考えると、善戦したんだろうなと想像します。

 

店舗のほとんどは札幌(地方では主体ではないが運営等に参画しているところあり)なので、今度札幌に行った際には、まだ訪れていないところを中心に回ってみようと思います。ご奉公と言いますか、ご恩返しのような感じですね。加えて、今の札幌を見るにはちょうどいい機会だと思っています。都市も変革を遂げています。人間も然りです。

 

年度末も残り数日。気を引き締めてかかりたいと思います。