激動となった舞台の陰と陽。~歴史の国、台湾~
台湾の記事も、書いてみればそれなりの本数になりました。
それだけと言うべきでしょうか、相応の楽しさがありましたし、記憶にも残りました。
安心したのは、比較的治安が良いこと。
こちらも多少の警戒はしていましたが、道中何のトラブルもありませんでした。
で、渦中のてるみくらぶ(もともとツアーを申し込んでいた会社だったので)に関して、会社側からの連絡は一切なし。報道を目にすると、被害者の会が発足されたそうです。記事には「この件を風化させない」という願いが込められていました。
てるみくらぶの破産に関連する被害規模は戦後4番目で、取引企業にも、利用者にも、そして同業者にも衝撃を与えました。この件で負った心労が万全に快復することは、まず不可能と言われています。ただ、この件の救済を含めた各種行動に関しては、業界のみならず国が検討を始めています。体制が固まるまではまだ時間がかかると思いますが、前途の希望を持つ展開となればいいなと願っています。
台湾に渡る前に提出した書類に関して、カード会社からは特段何の連絡もなし。
特に不備もないようなので、順当に行けばこのまま受理され、処理がされると思います。
さて、バスツアーで回った場所に、台湾の近代化を進めた象徴的な場所を回ってきました。
その場所はふたつあり、ひとつは「中世紀念堂」、もうひとつは「忠烈祠」でした。
「中世紀念堂」は、台北の中心部にあるモニュメント?のようなところで、現在の台湾の礎を築いた蒋介石を祀ったとても広大な場所になります。
「忠烈祠」は、かつて日本の護国神社があった場所とのこと。戦後に現在の施設となっています。辛亥革命(1911-1912)や抗日戦線などで命を落とした軍人を祀っている場所になります。
中世紀念堂4Fの大広間。この手前に監視の兵隊さんがいます。
忠烈祠での交代式の様子。警護に当たる人は、台の上に乗って姿勢を整えます。
しかし、任に就く際は服装等を正すことは出来ないので、別の係りの人が着任後に着装を整えます。
ここが忠烈祠の本殿。最初に本殿で交代を行ったあと、入り口となる門にいる兵隊さんの交代が行われます。その時間およそ30分。雨天時は中止とのこと。
上記2か所とも、軍の「儀仗兵」のような人(陸海空いずれにも属さず、厳かな場所で警護にあたるひと)が常に対になって「護って」いました。2か所とも兵士さんの交替式が日頃行われており、運よく見学することが出来たのですが、時間をかけ、姿勢も崩れることなく、一糸乱れぬ動作で任に着くさまを見て、どれだけの敬意かを推しはかることができます。ここで見えてきたのは、現在の台湾を創ったひとたちに対する最敬礼の姿勢であり、また、国全体の意思のようにも感じました。
ただ興味深かったのはバスガイドさんのお話で、中国から渡ってきた蒋介石について、英雄と見る人もいるし、昔から台湾にいた人の1部にとっては歓迎できない話しであるという主旨のことを話されていました。片方では英雄、もう片方では動乱を招いた人として認知されているというのは、決してここだけの話ではないのだろうなと思いました。
この観光を終わって帰国したのちに、台湾にある日本人技師の銅像と、日にちを開けて蒋介石の銅像が一部破壊されたという報道がありました。背景についてはよく確認していませんが、よく思うもの、よく思わないものがこの世界に混在していることは間違いなさそうです。
このような現象(と言ってしまいますが)は、決して「人」だけを対象としたものではありません。ときに産業、ときに宗教(信仰)など、あらゆるものごとが要因となって誰かには益をもたらし、誰かには害をもたらすのだろうと感じています。それは果たして不公平なことなのか?と考えたときに、そもそもそれまでの時点は公平だったのかが気になります。単純に環境が変わったことによる反発なのであれば、その原因と結果や要因、流動的に動いていく展開に関してどう対応すべきかを話し合うことはできるはずなのです。ただフォーカスされるのは、話し合いにすらならず、怒号がひしめき、自らの主張をただただ繰り返すだけの単純なもの。それでは何もテーブルにあげられていないのと同義に見られてしまい、建設的な解決を見ないまま、従来のシナリオ通りにことが進んでしまいます。その事実に対してあれこれ言う風景は、今も昔もひょっとしたら何ら変わりないのかなと感じました。
こういった観光地を廻っていると、よく人が行き交うところで「物乞い」を見かけました。
最初は、まったく気がつきませんでした。だって、道端に座っているひとなんて、普通にいましたから。だからその人が自分の目の前にお椀のようなものを置き、それが物乞いをしていることに気づくまで、少し時間がかかりました。
また、気がつかなかった理由としては、何となくですが周りと「同化」していたように思います。
そういった人たちがいるということが、すなわちこの国の存在の照明のような感じです。こういった人たちは世界各国にいるかもしれませんが、少なくとも日本においてはそうおいそれと見かけることはありません。この台湾の人と比べると、いわゆる日本のホームレスはちょっと違った部類のひとたちだなと感じてしまいました。
しかしながら、物乞いの人たちも、しきりに頭を上げ下げしている人がいたかと思えば、たばこを吸ってぼんやりしている人など、実にさまざま。単純に光と影を結びつけるわけではありませんが、象徴的な光景を見たような気がしました。
富むひとがいるいっぽうで、窮するひとがいる。
それは、時代に対応できるできないの話しであったり、努力するしないの差であったり。
そう考えると、ひとは一生、気を抜くことは出来ないいきものなのだなと感じました。
きょうまでに読んだ本
アタマで話す技術 八幡紕芦史 PHP (123)