言葉と感情の相性を感じた話。
今朝は30分間、スマホの目覚ましが鳴りっぱなしでした(汗)
はい。立派な寝坊ですこんばんは。
昨日から比べれば、体調も頭の中身もかなりすっきりしてきました。
しかし未だどこかのタイミングでスイッチが切れそうになる衝動を抱えながら、きょうも勤務をこなしてきました。
ほんとうにと言いますか、何でこんな時にってタイミングで、色んな指示が飛びます。
きっと「コイツ仕事してねぇな」と思われてるんでしょうね(笑)
その話を聴いている時ですら、意識が飛びそうになった1日でした。
朝、少しすっきりしたと感じた心身で、するりと言葉が出たように感じました。
それもつかの間、すぐに蓄積した疲れが背中にのしかかり、そろそろと遠ざかっていく言葉を捕まえるのを邪魔し、結局その言葉をこの手にすることが出来ませんでした。
まだ、自分の言葉を手に取るのには時間がかかりそうです。
言葉とは、かんたんなようで実はとても難しいものだと思っています。
昨今では「言葉は不要」という論が出回っていますが、その考えは半分正解の半分誤りだと考えています。
上記の発言だけでは、すべてを説明するには言葉が足りなさすぎます。
どのような理由から「言葉は不要」と言っているのかがわからないからです。
一部では「心でわかり合えれば言葉は不要」といった主張もあるようですが、印象は「言葉から逃げている」ようにも受け取ることができるのです。
ことばを扱う人間といういきものは、この世界においては特殊ないきものです。
意思疎通のツールとしてことばが筆頭にあるならば、それを使い倒すくらい使っていかなくてはならないのではと個人的には考えています。でなければ、アイコンタクトなどに代表された、言葉を使わないで行われるコミュニケーションは到底成立しないと思うからです。よって、仮に将来言葉は不要となる環境が整ったとしても、その人個人がある程度言葉を尽くしていかない限りは、言葉を不要とするコミュニケーションにおいても弊害が生じることでしょう。そしてどこかのタイミングで感情的になり、ときには自分の正義や論理を振りかざし、他社を責めたてるのです。そうなってしまってはどうしようもありませんね。
ぼくは個人的に、言葉を究めていこうと考えています。
しかし、現在は究めるには程遠い状態。
感情的になって言葉を扱ってしまうこともしばしばです。
内心「ふざけんなコラ!」とか思っていますから(笑)
これからも意識していきたいのは、
自分の気持ちをしっかりと表現できる言葉を都度見つけること と
誰にでもわかりやすく、理解されやすい、難しくない表現を使うこと です。
いまだ「何言ってるのかわからない、難しい」と言われることがありますが、「この姿勢が少しでも伝わればいい」なんて偉そうなことを考えようとせず、たとえ泥臭くても、かっこ悪くても、姿勢ではなく意図や気持ちそして表現が伝わり、そして届くようにしていきたいということ。
「たゆたえども沈まず」
どんなに落ち込んでも、堕ちなければまた浮かび上がることができる。
明日はきっといい日になると信じて、いい日にしていこうと思います。