呪いの「只中」と「痕」と。
呪いとは大層な表現になってしまいますが、数年前に「絶対に忘れない」と決めていたことがあります。
それは強く意識してきただけのことですが、それが思わぬ展開を生みました。
それは、言いようのない苦しみでした。
「忘れない」ということばは、どこにでも転がっています。
時折思い出すでも、忘れないという想いに当てはまります。
しかしぼくが決めた「忘れない」は、時折思い出すという頻度ではなく、ほぼ毎日に近い感覚で、忘れないようにすることでありました。そのため、リアルに「忘れられない」という現実が襲い掛かり、その存在が常にあることに対して苦しみを抱くというものでした。
「忘れられない苦しみ」。
そもそも、「どうして人は忘れていかなくてはならないのか」といった問いがあり、それに対していろいろな答えが出ていたように思います。
ぼくは「忘れる」という行為には抵抗がありました。
都合の良いものだけを覚えておき、都合の悪いものはどこかに捨てるようにして忘れていくという風に見えていたのです。
手元にはキラキラした(表現が極端ですが)、良い思い出だけを携えたい考えはとてもよくわかるのですが、それは結局は「逃げ」ではないかと考えていたのです。
だからというわけではありませんが、ぼくはできるだけのことを「名前をつけて保存」していこうと決めました。これの対義語は「上書き保存」になると思いますが、ぼくは上書き更新をしないことにしたのです。
それが、ぼくを苦しめました。
最初のころは何とも思っていなかったのですが、忘れないということはどういうことかをなめてかかっていました。
忘れないとは、現在もそのことを考えるということです。つまりは進行形です。
どこかで止まってしまっているかもしれないことに対して、自分だけがずっと考えているということになります。
これはもう、「後悔」とか、「引き摺る」ということになってしまいます。
書いていて気がつきましたが、ぼくは余計な苦しみを背負っていたんじゃないかと思ってしまいました。
この苦しみは「呪い」だ。
そのように感じ始めたのが、去年くらいのこと。
そして次に思ったのは「呪いを抱えて生きていく」でした。
つまりは、呪いを解くということを考えなかったのです。
何故なら、呪いを解くことはできないだろうと思っていたからです。
その呪いがふとしたことで解けるきっかけを得ました。
それが先日主催したイベントで、すべてを出し切ったあとに感じたことは、その呪いの苦しさがどこかにいってしまったことでした。
そこでようやく、吹っ切ることが出来ました。
「もう忘れていい」と。
この実感は、思いもよらない成果でした。
イベント自体に求める「答え」は別のものでしたが、想定外の副産物を得たような気分です。
それは飛び上がって喜ぶといった類のものではありませんでしたが、ぼくにとっては得難い成果となりました。
しかし。
長い間蝕んできた「呪いの影響」は、そう簡単になくなるものではなかった。
呪いの「只中」で苦しんできたものと、呪いの「後」に襲ってきた苦しみ。
完全に「自己責任」ですが、ここまでとは。
その影響もあってか、人と話すことすらも現在は臆病になってしまっています。
気分を変えようという想いから外勤に出掛けましたが、その先でも言葉が出ませんでした。
こんなに言葉が詰まるのか。
どうしていいか、わかりませんでした。
強い気持ちは、ときには背中を押す促進剤となります。
反面、場合によっては自身に大きな負担を強いるものだとわかりました。
いまは、からっぽです。
何も考えることができません。
完全に、弱音です。
いまはただ、どうしたらいいかわからなくなってしまいました。