確か「ありがとうの魔法」といった著書?決まり文句?があったように思いましたが
これって「嘘でしょ」と感じました。
結局は、自分自身が高尚な位置にいるための方便です。
そのため、ネガティブな部分には一切目を向けていません。
「ありがとう」という、前向きなことばにもネガティブな要素は抱えています。
スピリチュアル的な要素を前面に出し、引き寄せの法則等を筆頭に自分は「リア充」の最前線にいると公言している人こそ、目を背け、逃げているのではないかという考えに至っています(実際そういう人があちこちにいますから)。
ありがとうということばは、確かに「魔法」が含まれています。
それは感謝の意味もあり、前進的な意味に捉えられています。
反面、歓迎されない「ありがとう」もあることを知っているはず。
ありがとうを言われているはずなのに、不愉快になった経験は、どこかでしていると思います。
ありがとうという誰もが知っていることばでも、解釈は異なります。
それを伝えても、人によっては「今更迷惑なんですけど」と、かかわりを持ちたくないといった返答をする人もいます。そういう人に限って、ありがとうの魔法なんてことを言っていたりします。結局スピリチュアルという言葉はその人のためだけにあるという、都合のいい素材でしかないということを証明しているのです。
魔法は、言い換えれば「呪文」です。
呪文は、「呪」です。
つまりは、強い念を携えた神秘的なものです。
わたしたちは、それを知らなくてはなりません。
だからこそ、言葉を選ばなくてはなりません。
目先のことに目を奪われて、冷徹な言葉を吐いていてはだめなのです。
自身の経験から、ひどく痛感しています。
まさしく「つうこんのいちげき!」です。
ありがとうは、光でもあり、闇でもあるということが言えると思います。
そのようにさせているのはほかならぬ人間自身です。
どのように美化させても、醜さが介在していることを知らなくてはなりません。
どんなものにも「陰陽」がある。
それを含んで、日々を過ごさなくてはならないのです。
「ありがとう」に限らず。
どのような言葉も、その及ぼす効果は無限大です。
プラスの面ばかり見ていては足元を掬われます。
相手を不機嫌にさせるのも、魔法であり呪文です。
スピリチュアルという言葉が出てきてから30年ほど経過していますが、どうやらその部分に関する理解は遅れているようです。
「ありがとう」という言葉を究めようとしても、軽く一生分の時間が必要だと思います。
綺麗ごとは、結局は綺麗ごとです。
本質を感得しなければ、スピリチュアルも何のためにあるのかがわからないままだと思います。
特に日本では、いろんなスピリチュアルが蔓延っています。
ぼく自身は自然にそこから距離を置くことになりましたが、その光景を客観的に見て思うことは、スピリチュアルに傾倒する人ほど、幸せからは遠ざかるということでした。
ありがとう。
これだけのシンプルなことばの強さを、もっと知っていくべきだと思います。