「永遠」とは続くことであり、終わらないこと。
本日の八雲町。
午前中は雪または雨まじりの天気となっていましたが、午後には晴れ間も見えました。
気温もプラスになり、防寒着では多少暑く感じたほどでした。
午後から納品のため外勤していましたが、車内の空調を強める必要もないくらいの暖かさでした。
こういった天気、ずっと続くわけではありません。
日曜日から火曜日の午前中までは、本当にひどい天気でしたから。
たった1日2日で、町内はまた真っ白な世界に覆われてしまいました。
景色が変わることで天気や気候の変化を感じ取りますが、それができるのはやはり「目に見えるから」だと思います。これが見えないとなると、なかなか難しいものです。
目に見えないものを感じ取る。またはそれを維持していく。
結構ストレスのかかることでないだろうか、とハンドルを握りながら考えていました。
ふと思ったのは「永遠」。
意味としては、「終わらない」や「ずっと続く」といったものだと思います。
永遠を使うときというのは、誓いを立てたり、同意のうえで契る約束を交わすとき。
その時はそれでもちろんいいのですが、その時から始まった永遠の行く末を見続けることはなかなかしていません。もしくはその永遠を破棄する、といった行為が見受けられます。
なんとなくですが、
「勝手」とか
「永遠は表現のみ存在するのであって、実際はない」など
そんなに崇高でもないし、価値のあるものではないと思うようになりました。
だって、そのときのその人の心情などによって、かんたんに左右されるのですから。
だったら使わなければいいじゃん。
と思うのですが、そうもいかない。
お決まりのように人は永遠というカードを使い、その効力が続くものを思っている。
しかし実際は「自分勝手に」、そのカードの効力を無効化してしまう。
それは、「実は続いているものに対して目を背け、まるで黒を白だと断言しているかのような不遜な態度」にほかなりません。
まぁ、結果自分を責めていることにもなるんですがね 涙。
それでも言いたいこと、伝えたいことは、誰もが「永遠」に対する責任を果たしていないのではないか、ということ。永遠が一度発動したならば、それはずっと続きます。しかしそれをそのときの個人の価値観の変化などで評価を一方的に変更してしまうというのは、「後出しじゃんけん」と同じです。それでは、その人に何を言っても無駄です。
ビジネスも恋愛も結婚も、そして決意も誓いも告白もです。
後悔と反論と再認識をしながら、水気を多く含んだ雪道の中を移動した1日でした。