つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。このたび不定期更新に切り替えました。

ひと泣きと回想。

今朝は牛の鳴き声で午前5時起床。

 

はい。離乳した子牛の鳴き声で起きました。

 

 

でせっかくなので、午前6時からテレビをオン。

 

本日で、HTB の石沢綾子アナウンサーが番組卒業(局も退社)されました。

f:id:maruyamabase:20200828204328j:plain

 

 彼女の卒業が告げられたのは、6月だったと記憶しています。

それから2カ月

あっという間だったと思います。

 

今月に入ってからは卒業記念企画を番組内で行い、今日の放送ではいちアナウンサーのこれまでを振り返るという、通常ではちょっと考えられない展開となりました。

 

正直、ここまでとは、と思いました。

それだけ、支持されてきたアナウンサーだったということですね。

 

朝からもらい泣きをしてしまいました。

石沢アナ、今日までほんとうにお疲れさまでした。

 

 

 

ここまで盛大に送ってもらえるのは、幸せ者だよなぁと感じています。

 

では自分にこのような場面はあったのだろうか?と振り返ってみたところ、ちゃんとありました。笑

 

それは教員採用試験を諦めて会社勤めをはじめた最初の会社ですが、実質在籍した期間は3年にも満たない、短い期間でした。

この会社(社名はもちろん出しませんが)、地元の界隈ではブラックと言われている有名な会社で、当時の就業時間は10時~21時というシフトでした。(今思えばナンジャソリャ!)

そんな環境でありながらも、役職にまでしていただきました。最後は現場統括といった立場にしていただき、新人教育をはじめ、エスカレーション対応やフプライベートのフォローなど、忙しくさせていただきました。もちろん大失敗もありましたが 汗。

 

辞める際には、盛大に送別会を行っていただきました。

今思えば本当にありがたい経験です。間違ったこともあったけど、間違ってなかったなと感じた瞬間でした。

 

その後は送別会らしいことをしない会社に転職を繰り返していたため、退職するときはひっそりと、という具合。その差をひしひしと感じながらも今日に至っています。

 

 

労働条件は様々あれど、そこで得るものは決してブラックじゃないのでは?

ふとそんな風に思いました。

過酷な労働条件であることには間違いないのですが、かなり稼がせていただいたのも事実。中には給料に見合わない労働があるやもしれませんが、ぼくの場合は相応の対価を与えていただきました。それがあるからこそ、今があるのですけどね。

 

 

 

北海道八雲町に移住してから、協力隊を退任するときに送別会を開いていただきました。それは合同ではあったものの、気が引き締まり、かつ感謝の思いでいっぱいになった催しでした。今後は送る側にもなりますし、もちろん一定の時期で送られる側にも立ちます。当たり前のことなのですが、どのような環境にいても、感謝の気持ちを忘れず、与えられたことをやる。精一杯生きていこうと思った、とても蒸し暑い金曜日でした。