つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。このたび不定期更新に切り替えました。

人の過去の扱い方。

つい最近の報道で、内閣総理大臣が新しい方になったそうです。

なんでも第100代だとか。凄いのかそうでないのかよくわかりません。

 

こういった出来事(誰かが何かに就任したといった)がありますと、一部の人たちが即座にその話題となっている人の「これまで」を確認しはじめます。言い方は悪いのですが、つまりは過去を「漁る」のです。

 

それはとても短い時間で行われ、早くて数時間後には「この人はこんなことをやっていた」と、表現としてはその人はその地位にふさわしくないといった表現をして人々の注目を集めようとします。それはメディアだけではなくSNS、そして責任ある立場の口からも同様のことが聴こえてくるのです。

 

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「過ぎたこと」を今も生きているかのように報道する傾向がさらに強くなっています。

実際に、この過去の問題が災いした人たちも多くいらっしゃいます。

そして人々は口々に叫びます。「任命責任」だと。

任命をした側からしてみると、その過去は「過ぎたこと」だとしていたのですが、世間はそれを許しませんでした。人は結構、というかかなり、過去を気にする傾向にあるようです。

 

 

しかし不思議なことに、その過去にこだわらないケースがあることも事実です。

過去よりは「いま」というスタンスで、その姿勢を評価しようというもののようです。

そうでなければ、人を許すことは出来ないというスタンスなのだと思います。

そういった世界は実際にあるのですが、何となくその境界が狭まっているように思えてしまいます。

 

 

 

「過去」はどちらかと言うと、「触れてほしくないもの」になるのではと思います。

それを隠そうとする人、拒絶する人、様々いると思います。

自分も、過去には触れたくない側の人です。

何かと蔑まされる時間を過ごしてきましたので。

 

過去の恋愛の話になりますが、女性は「上書き保存」に対し、男性は「名前をつけて保存」すると言われています。上書き保存ですと過去の記録はなくなるはずなのですが、それを探し当てる人がいるということです。そして実際に探し当てられるとどうなのでしょう。不愉快というよりは、恐怖なのではと思います。そこから考えると、人の過去を探し当てるという行為は、相手に恐怖を与えたいのではないか、と思えてしまいます。探すことは、今では容易になっているのかもしれません。実際に探すとなると、相当な労力を要すると思います。そこまでして行うことなのかと思うと、不思議だとしかいうことが出来ません。

 

 

このまま過去を暴くことで、人員の交代劇はさらに進んでしまうこととなります。

そこで刻まれるのは、人間は聖人君子でいなければならないという掟になります。

しかし、その過去を暴き、知った過去を罵倒する人も決して聖人君子だとはいえなくなってきています。せいぜい「わたしのほうがこの人より優秀だ」と言いたいだけの、少し悲しい行為にしかならなくなっています。

 

 

 

デジタル化が進み、様々な記録と記憶がその世界に残されるようになってから、人間は段々と、自分たちの首を絞めてきています。その苦しみがわからないうちはまだ、その手を緩めることはないのだと思います。苦しみがわかったときには手遅れにならないことを祈るばかりです。

 

 

誰もが、よい過去も悪い過去も持っています。

誰もが、よい明日と悪い明日を持つ可能性があります。

そこをわかってあげることこそ、今必要なことなんじゃないかなと思います。