価値が潰されてゆく。
きょうのニュースで、発売になったゲーム機が悲しいことに早速転売に出されていた、というものがありました。以前はせどりと言っていたものが今では転売となり、転売を行う人を転売ヤー(転売屋?)と言うそうです。その人たちはその貴重な商品を通常価格よりも高く(ときにはえらい高く)販売しては利益を得ているそうです。以前は副業としてせどりが推し進められていましたが、今となっては事情が大きく変わってしまいました。
商品の価値はその商品を保有する会社が決めるものですが、最近ではその価値がどんどん書き換えられていく印象が強くなっています。
例えば新刊本が1.000円で発売されていたとします。この価値(価格)はその本を出版している会社が設定したものですが、その本を読んだ人が持つ感想(価値)は1.000円とは限りません。その価格以上であることも、以下であることもあります。それは所有権が読者に移って初めて価値も変動し、総合的な価値が算出されるものとイメージしています。
しかし昨今の価値は違っており、自分で吟味することなく右から左へ流しています。
その人にとっての価値は「手元にお金がいくら残るか」のみであり、商品がそもそも持っている価値についてはあまり興味がありません。高く売れればそれでよいという面を強く持っています。昨今そのような動きは日用品にまで及び、商売をするうえでの、または人としてのモラルを強く疑われるケースが多発しています。
もうひとつの動きとしては、所有する前からその価値を「決めつけてしまうこと」。
仮に占いが1.500円であったとします。その広告をみた人が「1.500円は高すぎる」としてしまうことです。占い界全体から見ると決して高くはないと思える価格であると思いますが、それですら高い、と価値を変えていく人が増えています。
フリマサイトでの値引き交渉も似たようなケースがあります。
3.000円で出していた商品に対して「こんな商品で3.000円は高すぎる。せいぜい1.000円だろ」と価値を押し付けてくる人が目立つようになりました。安く買って高く売るというのはセオリーではありますが、節操がなくなり、価値という言葉が持つ本来の輝きが段々とくすんできたように思えてしまいます。
そんな世の中ですが、誰にも譲れない価値は誰しもが持っていると思います。
その価値を愚弄する人は悲しいですが存在し、望まない場面に遭遇するかもしれません。
自分が大切にしているものの価値を守る、というのは、大変なことなのかもしれません。反面、それほどの強い気持ちが、価値を確固たるものにするのではないだろうかと、報道内容を読みながら考えていました。