令和4年1月の読書感想文① テロ フェルナンド・フォン・シーラッハ:著 酒寄進一:訳 東京創元社
令和4年もたくさんの本を読んでいきたいと思います。
さて1冊目は
テロ フェルナンド・フォン・シーラッハ:著 酒寄進一:訳 東京創元社
八雲町立図書館蔵
これは帯を読んで借りてきました。
あらすじは、
ドイツ上空で航空機がハイジャックされ、ドイツ空軍機が緊急発進します。
その後ハイジャックしたテロ犯の目的が、サッカーのスタジアムということがわかります。この日は試合で、スタジアムには7万人の人がいたということです。その一方で、航空機には164人の乗客がいました。
結果として、ドイツ空軍のパイロットは旅客機をミサイルで撃破。
懸命の救助作業も叶わず、全員が死亡しました。
空軍機に乗っていたパイロットの判断は独断であったことから、裁判にかけられます。
本としては薄いほうですが、よく考えられている本だなと思いました。
裁判は日本でいうところの陪審員が入り、その人たちの評決が判決となる仕組みになっています。ここでは様々な状況から、このパイロットが取った行動は犯罪なのか、それとも大惨事を食い止めた英雄なのかが問われるというものです。
本書では様々な点でパイロットの責任を明確にしようとしていますが、大きな点としては、「7万人を救った」のか、「航空機を破壊して乗客を殺した」のか、どちらかの存在としたいということにあります。直感で感じるものもありますし、読み進めて唸る場面もありました。これは読者を考えさせる小説であり、この世に問う小説でもあるように思います。
なお、作中には「有罪」のケースと「無罪」のケース、両方が描かれています。
そのどちらも、歯痒い気持ちだけが残ります。
現在の日本で、このような天秤にかけられるケースというのは、意外にもあるのではないかと思います。が、どうにも世論は純潔を求めており、少しでも穢れていることを決して赦しません。その気持ちはわかるのですが、これはどうにも「首を絞めている」ように思えてしまうのです。ケースは違えど(まずないが)、天秤にかけられる状況を抱える可能性は誰にでもあります。そう考えると、背筋の凍る物語になります。
自分の天秤を隠してその人を責めるか、それとも。
罪を決める場があると雖も、あまりその場にはいたくないなと感じた本でした。