雑誌「ダ・ヴィンチ」の新刊本紹介だっと思いますが、気になったので読んでみました。
おまえなんかに会いたくない 乾ルカ:著 中央公論新社 個人蔵
あらすじとしては、北海道にある高校の卒業生が同窓会をするべくSNSを使って告知、参加の呼びかけを行ったところ、途中で転校した生徒の名前を書き込み、「この人を知っていますか」と投げかけられます。実はその生徒は当時いじめられており、それが原因で転校したという背景を持っています。高校を卒業して10年が経過しようとしていたころ、忘れかけていた記憶を呼び覚まされ、ざわざわとした胸騒ぎを抱えながら、同窓会当日までのカウントダウンが始まります。
高校卒業してから10年ですと、年齢としては30歳手前。
仕事に家庭に一生懸命な頃だと想像します。
そんな中での旧友との交流は、普通であれば心温まるイベントだと思います。
しかし、そこに一石を投じた「告発」のような内容は、同窓会の開催すら危険視するほどの毒性を持っていました。
恐らく、そこで浮かんだのは「暴かれる」ことの怖さ、なんだと思います。
ちょうどこの本を読んでいたとき、お笑い芸人であるジャングルポケット・斎藤さんのこの記事が出ていました。
人気芸人でいらっしゃいますが、過去に相当ないじめを受けていたようです。
内容はしっかりと読んでいませんが、その後斎藤さんのもとには「同級生」から次々と連絡が入ったそうです。中には「いじめていたことを公表しないでくれ」といった趣旨のものもあったそうです。
そのような状況が事実であれば「なぜいじめたのか」が焦点になります。
そうなるとよく「いじめられるほうが悪い」という理論が出ますが、それは相当前から間違いだと指摘されていたはずです。旭川市の件(まだ第三者委員会の調査報告が出ていない)といい、いじめは減るどころか増えており、そして、隠ぺいの体質も変わっていません。よく「事件にして警察を介入させるべき」といった書き込み等を見かけますが、それが効果的かどうかはわかりません。
少し自分の話をします。
ぼくがいじめを受けていたのは高校時代。
結局卒業まで、白い目線が無くなることはありませんでした。
コイツ使えねぇは毎度のこと。キモいとかも言われてましたね。
教科書や辞書を貸せばページが破られ、上履きも隠され。
何かやれば「調子こいてる(調子に乗っている)」とされました。
それでも何か事が起きて職員室に呼ばれれば、「お前が悪い」と同級生に詰め寄られました。
高校時代は、自分にとっては不要な思い出になりました。
それからしばらくして、卒業アルバムは処分しました。
それでも、いじめていた人間のことはよく覚えています。そんなものです。
話を本書に戻すと、いじめた側の人間は「いじめていた」ことをすっかり忘れているし、いじめられていた側の人間は時間が経過していてもしっかりとそれを憶えているものです。その恐怖を本書ではじわじわと感じますし、どのような「復讐」をするのか、その展開が楽しみでした。
また、この件で仲が良かったはずの同級生たちの絆にヒビが入ります。
それは大人になったからなのかはわかりませんが、一因はあるのではと思っています。
悔しいことに、人間は同じことを繰り返してしまっています。
その時代に生きる人間が代替わりしていくことで、過去の痛みは残念な方向へ薄らいでいきます。そして忘れそうなほどの過去に犯してしまった過ちを、この時代の若者たちが繰り返してしまうのです。それを止める、または無くす方法を、かつて「いじめていた側」の人間が、責任をもって考えるべきだと主張します。
同じことと言えば、紛争(戦争)も然り、選挙前後の政界も然り。
とりわけ現代では、宗教(スピリチュアル)への対応も然りになりつつあります。
人間は簡単に流されますが、その反面責任を主張することなく逃げる性質があります。
それではどんなにSNS等でまっとうなことを言っていても、空虚でしかないのです。
本書を読んだ感想としては、満足いくほどではないものの、自分の気持ちが代弁されている気持ちがあり、掬ってくれたという実感があります。
ただ、当時の同級生とは誰とも連絡を取っておらず、もはや興味もないです。
何かが間違って自分の存在が世間に知れ渡ることのない限り、「いじめ」に対する何らかの行動は、起こすことはないでしょう。しかし、今でもしっかりと「恨み」は持っています。それはある種、呪いのようなものです。相手がどのような生活をしているかは知りませんが、「せいぜい頑張ってくれ」程度のものですが。
自分がいじめられたという記憶は、その記憶が無くならない限りは死ぬまで持ち続けることになります。決して自分から忘れる、捨てることはないし、できないでしょう。その記憶が自分の生活に影を落としたこともあります。いじめは「その時だけ」に影響を及ぼすものではありません。その人の一生にかかわるものです。その逆も然りです。
誰かを「いじめた」側にも、一生という時間を使って影響を及ぼしているということを、しっかりと受け止めるべきだと思います。