逝ってしまった級友へ。
今年のお盆期間にあわせて、故人への手紙みたいなものをブログに書いて残してしまおう、というものです。きっかけはこちらの本でした。
故人のことを振り返って文章にするのはどうなんだろうと思いつつも、自分なりに書いてみようと思いました。整理になるのかならないのかはわかりませんが。
今回は高校時代の級友です。
カネコくん
きみが逝ってしまってからどれくらいの時間が経っただろうか。
特にきみとは親しいわけでもなかったね。確か高校3年間は一緒のクラスだったっけ。
同じバスケ部で、ぼくが先にバスケ辞めて柔道はじめて、その後生徒会に入っていたけど。
まず、きみの訃報は生徒会の会長からだったと思うけど、連絡がきたんだ。
たしか彼とは同じ中学だったと聞いていたと思う。まず何が何だかわからず、ばたばたするようにしてお通夜に参加したことは覚えている。最悪の葬式だったけどね。ぼくにとってはだけど。
忘れてはいないと思うけど、ぼくは高校時代、きみを含めた複数の人間に目をつけられていたね。今の時代であれば、いじめと定義してもいいと思うくらいのものだったと記憶している。自分たちのやっていることはいじめではないと色んな人たちが言うだろうけど、確かにいじめは存在していたよ。まぁよくぼくも卒業まで通ったもんだわ。
だから死んでざまぁみろ、とは思わなかった。思ってもいいはずなんだけどね。
そこまでのことは考えもしなかったよ。
その後新聞記事で状況を少しながら知ることが出来た。
残念でしかない事故だった。
きみはうえから見ていたと思うけど、お通夜に参列したとき、周りが一斉にぼくのことを白い目で見てたよね?そしてヒソヒソとこちらを見ながら話していた。その光景は、高校生のときと一緒だった。「キモイ」だの「使えねぇ」だの、よく言ってたでしょ?そんな会話をお通夜の会場でもきみのともだちや同級生たちはしていたと思うんだけど、なんていっていたかはわかるんでしょ?ぼくときみがいた1組、そしてとなりの2組、あとは5組とかにいた人たちだよ。他にもいるだろうけど、もう記憶がないや。これでも憎たらしい人間は何人かいて、そいつの顔と苗字はまだ覚えているんだよね。相手はすっかり忘れているだろうけど。
いじめはね、ずっと傷を残すんだよ。
ずっとなんだよね。
それは性格にも影響する。そういった例はたくさん存在している。
幸いにもぼくはなんとかここまでやってきた。この後もなんとかやっていくだろう。
高校時代、きみを含めた人たちにいじめられたという傷を抱えてね。
だけど不思議なんだ。なぜきみのことをずっと覚えているんだろうかって。
だって友達でもない人のこと、忘れたっていいじゃないか。
それが出来なかったというところに、何かあるんだと思うよ。
もしかすると、きみを供養するということが、仕返しになっていたりしてね。
きみはわかっているだろうけど、果たしていま、何人が、きみのことを思い返しているだろう?死んでしまった時期は忘れてしまったけど、定期的にきみのことを思い出しているだろうか?何にもならないけれど、それが知りたかった。
成仏するまでまだしばらくかかるかもしれないけれど、それまでの間、忘れないようにしておくわ。きみに手を合わせることがいじめへの仕返しだと、自分ではそう考えている節があるけれど、その気持ちを薄めていくようにするわ。
それじゃあ。