年度末ということで、振り返らなければならないことについて書き残しておきます。
今年の1月、札幌市に足を向けました。
コロナ渦であったため実家には泊まりませんでしたが、2泊3日滞在しました。
この時の滞在の大きな目的は「弔問」でした。
昨年の1年で、同級生や同窓生の親御さんが立て続けに亡くなられたのです。
喪中はがきを目にした瞬間、思考が停止しました。
いつか出世払いを、と思っていましたが、と後悔。
しかし、そのまま収めることも違うと思ったので、友人に連絡を取り、段取りをつけてもらい、札幌へ向かい、それぞれの場所に訪問することにしたのです。
訪問して、お線香をあげて、遺影の前で手を合わせ、頭を深く深く下げ、来訪が遅れたことのお詫びと、これまでの御礼を確りと、心のなかで伝えました。
遺影を観て、初めてその方がもういないんだとどこかで理解したとき、涙が溢れました。逝ってしまった人に対しての涙はしばらくぶりでした。
祭壇(または仏壇)に手土産を捧げた後、ご家族と少しの間ではありますが、それぞれお話をさせていただきました。そうするとありがたいことに、当時の話が次々と出てくるではありませんか。話すことで思い出されることが数多くあり、故人の前ではありますが、よい時間を捧げることが出来ました。
ありがたかったのは、その故人が折に触れぼくについて語っていてくれていたことでした。当時、ぼくの家庭は父親が病気療養しており、生活は大変でした。その中で友達になった友人ひとりの親御さんが、自分を家族のように扱ってくれ、育ててくれました。小学校の卒業記念には夕張市にあるスキー場へ連れて行ってくれました。そんな思い出の詰まった時間があったことを忘れてしまっていましたが、故人が自分のことを憶えていてくれたことで、その時間が瑞々しく蘇りました。
また別の友人宅では、親御さんに合うのは高校生以来で、玄関のドアが開いた瞬間。お互いの目頭が熱くなりました。今思い出しましたが、こちらの友人とは釣りをした記憶が出てきました。なんだかんだ言って、お世話になりっぱなしです。もちろんここでも昔話に花が咲きましたし、確りと手を合わせ、感謝を伝えてきました。
どの御宅でもそうでしたが、ぼくが過ごした時間が残っていて、本当にうれしかったです。
長い時間生きてきますと、どこかの局面で、自分が過ごした時間を否定されることがあります。その場合、拒絶の否定と嘲笑の否定とに分かれてくることが多いです。
生きて来た時間を否定されるのは、辛いです。その影響も強く、こんな人間になってしまったものと思われます 笑。まぁ、今日まで元気でいることが救いでしょうか。
人間はときに、これまで過ごしてきた時間を否定する、または拒絶し、また封印することが多くあります。それはこれからの未来に対するけじめにも見えます。しかし過去は現在、未来につながる重要な要素です。それを否定する、というのは、あってはならないことのような気がしています。良し悪し関係なく、です。
ぼく自身も、自分がしてきたことの過去を捨てたいと願った時期がありましたが、今は許容することが少しはできています。決して褒められるものではないのですが、それを抱えて元気に過ごしています。
これからは少しずつ衰えていきますが、これまでを否定せず、捨てず、どのようなものでも自分の過ごした時間だと誇りをもち、明日につなげていきたいと思います。