令和4年10月の読書感想文⑤ ブッダ(文庫版 全12巻) 手塚治虫:著 潮ビジュアル文庫
火の鳥に続いて、手塚先生の作品で読みたいと思っていた「ブッダ」を、やっと読み切ることが出来ました。
ブッダ(文庫版 全12巻) 手塚治虫:著 潮ビジュアル文庫 個人蔵
火の鳥と比べると一冊は薄いですが、それを幻想と思わせるような重厚な、そして無限に広がる世界を見たような気がしました。
以下、感想です。
〇ブッダという「いち人間」の物語
読む前まではブッダが「目覚め」、人々を救っていくストーリーを想像していたのですが、読み進めて理解したことは、ブッダは「わたしたちと同じ人間」だということでした。これは「思い知らされた」という感じに近いです。
〇何かと皮肉が込められている
火の鳥でもそうですが、作品を通して人間が考えてとる行動等に対して、皮肉を込めているコマがあるなと感じ取ることが出来ます。それは著者なりのメッセージや警告であったのかどうかは不明です。が、どこかで危惧はしていたんだろうと思います。
〇宗教やスピリチュアルではない方向性で追及を
作品では組織を作ることに対して否定的(興味がないように思えた)であったブッダ。
しかし弟子の一人がブッダの教えを広く伝播するという目的で設立し、ゆくゆくはそのトップにと画策するさまが描かれています。
加えて、ブッダはブラフマンを通して「伝えるべきこと」を知り、理解したという流れになっています。しかし現代では、いろんな事象に対して「わたしは目覚めた」と自称する人が増えています。それが解脱を指すのかどうかは不明ですが、個人的には「悟り」のひとつではないかと「危惧」しています。しかもかなり「利己的な悟り」で。
悟りや目覚めなどは、イメージといては「中立」の状態で発現します(と考えます)。
なので何かしらの陰謀を暴くようなかたちでの「悟り」や「目覚め」は、ないものと考えます。悟りや目覚めですら、利己的な思想などの介入を許しています。そこに気づけない状態ですと、その人は自分を見失います。
時折、そして時間をかけて、古来の経典を読む機会を設けていますが、それはあくまでも個人での理解に留めています。他人に広め、理解を求める必要は「ない」と考えています。これが自分が宗教(団体)から離れた、ひとつの要因になっています。
手塚作品は、いろいろな思索を与えてくれます。
これを若いころの自分にやれというのは無理な話だと感じます。
いまだからこそ、そういったものに向き合えるのだなと。
「これが真実だ」ということは簡単です。
しかし、それを「生きているあいだに」証明することは、このうえなく難しいのだと感じました。