つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。このたび不定期更新に切り替えました。

実はすぐそこにまで来ている。

日本農業新聞10月7日発行社会面の12面に

 

「出没 10県前年上回る」との小さな見出しが出ていました。

周辺の記事と共に確認してみますと、熊の出没に関する記事のようです。

 

北海道では熊の出没数を公表していないとのことですが、本州で状況を見ていると、熊が出ていないのは四国と九州、関東の一部となっており、23年度は10月初めの段階で、32都府県(北海道は公表していないので除外)において熊の出没を確認しているとのことで、そのうち10県は前年を上回る出没数となっている、とのことです。

 

 

 

知る義務ではなく必要が生じている

 

熊の出没がニュースになっているということは、少なくとも何らかの被害も併せて発生している可能性があります(農作物の被害や交通事故等)。その事象に対してニュースや世間は動いている感覚があるのですが、まずはどうして、以前と比べて熊が出没する回数(または見る回数)が増えていったのかという背景を知る必要があると思います。

 

 

 

環境か経済か

 

近年、自然環境や動物愛護(または保護)の機運が高まり、活動も活発化しています。

と同時に、その活動の一部は過激さを増し、「そこまでしなくてはならないのか」という疑問を持つようになりました。

これまでの長い歴史の中で、全世界の人間は経済的発展を求めた代わりに、地球に古来から存在する環境をすり減らしてきました。人はそれを環境破壊という表現で責め立てますが、その環境破壊も「どこからが」という線引きもしっかりと見ていかなくてはなりません。その一方で、経済的発展はいつの時代も求められています。環境問題にもつながっていきますが、国の貧困化が問題になっており、多くの人がその打開策を心待ちにしています。しかしながらオリンピック招致等による劇的な発展ではなく、住環境における負担の軽減を主とした対策の意味合いが強く、トンネルを抜けるのはかなり先になりそうな感覚があります。

 

苦しい本音ということになると思うのですが、環境を立てれば経済が立たず、経済を立てれば環境が立たないという状況がずっと続いています。例として、環境に配慮した発電施設であっても、建設地の景観や自然環境のバランスが崩れるなどの懸念から計画を白紙にするケースも出てきています。この判断をどう受け止めるかはその人次第ですが、確実に「これからの経済環境」に即した整備が出来なくなるでしょう。

 

 

 

境界の有効性

 

熊に限らず、多くの生き物にはある種の境界が存在します。習性とも取れますが、そこを活用して人里に降りてくる頻度を減らそうという取り組みも行われています。人々が住環境に目を向けることはいいことだと思います。が、これは熊等の脅威がなくなった後も続けて欲しいです。これと同時に、経済に関する境界も考えていくべきではないかと思います。未開発の土地はやはり自然環境豊かな場所になります。そうではない場所、極論を言えば住宅地(であった場所も含める)に整備することも迫られるでしょう。環境への配慮から新しく施設を敷設するのは反対だとしたら、既に開発が行われており、現在は未使用の土地があったとしたら、そこに一度でも目が向けられるのは当然の流れになると思います。インフラは不要だとする主張もありますが、現代は昭和の時代に比べ、格段に電気を消費しています。省エネが叫ばれていますが、そもそもの消費量が違うのです。インフラは生命線になっていることから、確実に供給が可能な生産を行うための施設を拡充させなければいけないという課題を持ち続けるのです。

 

 

 

事態が大きく動いてしまわないように

 

熊の出没件数が増えているということは、その他の動物(鹿など)も多くなってきていると思います。北海道では熊に限らず鹿も出没件数が格段に増えているように思います行動の材料にしないという人もいるかもしれませんが、この保護路線がいつまでも続くとは考えないほうがいいと感じています。それは論議によって決まるかもしれませんし、早急に対処しなければならない事態に発展するかもしれません。国内向けであればどうにかしてやりすごすというのが風潮ですが、ここに国外が関係するとそうも言っていられません。加えて、今後も個体数が増えていく存在に対し、自然環境がいつまでも支えられるとは考えていません。個体数が多くなればそれだけ自然環境が荒廃していきます。人間がどれだけ境界を設けようが、自然環境の整備を行おうが、バリケードを突破するように熊をはじめとしたたくさんの動物が「いい匂いのする」都市部に押し寄せるでしょう。そうなったときの責任は誰が取るのか?行政「だけ」なのか?そこにも注目していきたいです。

 

いまは「まだ」安全に暮らすことが出来ていますが、最低限の警戒をしながら過ごしていきたいと思います。