先日ですがエアメールがわたし宛に届きました。
消印には「NY(ニューヨーク)」の文字が。
ニューヨークに知り合いがいないのですが・・・・・・
実はこの手紙の差出人はお店の従業員の方で、赴任先のニューヨークからわざわざ手紙を書いてくれた、というなんともほっこりする展開です。
このお店の方は「メーカーズシャツ鎌倉」というお店の方で、ニューヨークに支店が出来たため念願の海外勤務を現在頑張っていらっしゃるようです。
「鎌倉シャツ」といったネーミングで販売されている商品はシャツとしての品質がとても良く(シャツにかける思いも相当のものです)、お値段も手ごろです。
しかもデザインは1回きりのものばかりで、好みの柄はあってもサイズが合わないなど、わたしも何度か悔しい思いをしたことがあります。
鎌倉シャツオフィシャルウェブサイト
このシャツをよく買っていた場所が、羽田空港に入っていた店舗でした。
ですがそこの店舗はつい先日の1月17日でクローズとなってしまったのです。
メールマガジンでその報せを知り、そこで提供していただいたサービスに感謝の気持ちを贈りたい。
そんな気持ちでお礼の手紙を送らせていただきました。
たぶん、閉店セール時には当時のお店のスタッフはいないであろうと思い、お世話になった方々のお名前を記載していたのですが、現スタッフの方が気を利かせてくださり、スタッフのひとりである、現NY支店勤務の方にわざわざ知らせてくれた。
それに応えるかのように、わたしにわざわざ手紙を書いてくださった・・・という流れです。
手紙を受け取って改めて感じたことは「手書きの手紙」の良さというものです。
過去には別れの手紙も受け取ったことはありますが 笑。
今では簡単にメールなどで文字を打ち、メッセージを相手に伝えることができます。
携帯電話も格段に普及し、いつでも相手に電話をかけることができるようになりました。
その反面、とはなかなかいえないですが「相手に伝えたいことば」が何となく軽んじられるようになったと感じています。
もちろん、電話というツールも、メールやメッセというツールは必要です。
ただ、そこにかかる比重が多くを占め、大事なことや「礼儀」に関してもだんだんとおざなりになってきた感じがするのです。
大事なことは「逢って話す」というのがいまでも一番の方法だと思います。
中身はどんな内容であれ、です。
そこを「メール」で済ませてしまうのはやはり危険をはらんでいるように思います。
「電話」は相手の声が聞けるぶん幾分ましですが、直接逢って話すときの息遣いなどの空気が感じることができない場合があります。
また、最終的にメールやメッセンジャー等は「一方通行」になりがちです。
「とりあえず送ったから」で強制的にピリオドを打つことができる。
だからこそひとはとどめを刺す「かなりきつい」ことばを最終的に用いるのかもしれません。簡単に放棄すると言っては聞こえが悪いですが、無機質な文章を読むことが圧倒的に多くなった今では、いとも簡単に会話を「捨てる」という印象が強くなりました。
たしかに時代は変わりました。
それでも、
逢って話をした方がいい。
傷ついても。
でも、そういうときに限って「忙しい」と人は言います。
そして「疲れているから」とも。
だから面倒なことはしたくないと感じているのかもしれません。
そしてそのまま疎遠になったり、棚上げにして知らない顔をしていたり。
伝えたいことだけ伝えて、あとは放置です。
あっという間に時間「だけ」は経過します。
ときにことばは「残酷」にもなり得ます。
反対に「これほど励まされる」ものもないと思います。
背中を押してくれる、こころから励まされる・・・
その背景にはやはり直筆の手紙であったり、温度が感じられることばであったりすると思います。
無機質な、プログラミングされている「字体」よりも、癖のあるそのひとそのひとの「字」。
仮にわたしに対する痛烈なお叱りの内容であったとしても、受け取るなら間違いなく後者の方を選びます。
無機質な字はその「負」の効果を倍加させ、いとも簡単に相手の「こころ」を追い詰めてしまいます。
だからSNSでひとは簡単に誰かを追い詰め、そして誰かが追い詰められるのではないでしょうか。
追い詰めている側も間違いなく認識しています。自分が打った文章がどれほどの効果を発するか。
自分だけなら、と思っているのかもしれませんが、そういうときはおおよそ「複数」で行っています。
そうなるともう手が付けられません。単純な掛け算での影響ではなくなります。
それを「知らなかった」ではもう済まされないでしょう。
年齢がいくつであっても、自分が発したことばの責任は果たすものです。
安易で簡単なメールなどの方法は、便利な手法であるがために陥ってしまう「罠」に簡単にはまってしまいます。
だからこそ「ことば」が与える影響というものをわたしたちは考えるべきだと思います。
「ことばのキャッチボール」
小学校の授業でよく用いられたフレーズです。
相手とのやりとりを会話で行う。
それは、相手をしっかりと「見て」ことばを「なげかける」。
そのことばが「伝わり」「届く」ことで、相手からも「ことば」が返ってくる。
そこに思慮深さや想う気持ちが入るからこそ、日本人独特の良さが出てくるのかもしれません。
長旅をして届けられた直筆のエアメールを読み返し、そんなことを想いました。
------------------------------------
今日は札幌ドームへ行ってまいりまして「札幌モーターショー」を見てきました。
いろんなコンセプトの車等が展示されていて、とても刺激を受けました。
ちなみに今朝引いたオラクルカードはNo.9の「チャネリング」というカードでした。
このカードについては札幌モーターショーを見に行った感想日記とともに紹介したいと思います。
では、カメラに収めてきた中から1枚。
ダイハツのブースにて展示されていたSNOWMIKU(雪ミク)。
ミクファンのみならず、たくさんのギャラリーの注目を集めていましたよ。
誰ですか、お姉さん目当てなんじゃないの?と言ったのは。
もちろん車目当てですよ、もちろん・・・