つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。このたび不定期更新に切り替えました。

必要だと感じてやることも大事。とにかく「動く」ことが、自分を先に進めます。

次の仕事までの合間に、書き出しを行っています。

 

 

 

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これも自分の中では立派な「がらくた整理」の一環。

この書き出しを行ったあと、書籍のほとんどは処分します。

手許に残す予定の本もありますが、どれが残るかはわかりません。

 

過去の記事を見返してみましたが、しばらくがらくた整理の記事を書いていないことに気がつきました。じゃあがらくた整理はしていないの?という流れになりそうなのですが、決してそういう訳ではなく、日常的に、つまりはごく普通に整理は続けています。なんだか当たりまえのように感じていたことと、他のことに記事を費やしていたため、ずっと書いていませんでした。

 

 

 

 

この書き出しですが、多読で読み終えた本の中で気になるところを付箋で目印をつけ、後日ノートにその語句を書き出すというもの。これが何の役に立つのかという明確なことは言えないのですが、「やる」と決めて昨年秋から続けています。このノートの書き出しも、ダンボールにして3箱目がやっと終わりました。現状読み終えた本は5箱目が終わり、6箱目に入ってしまいましたが、そろそろノートの書き出しとともに本の処分のための展開を起こす必要がありそうです。

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コンディションを付箋に書いて貼っています。

 

 

 

 

 

時はすでに年末になっていますので、大掃除の特集をテレビなどで見かけるようになりました。掃除と言われると乗り気にならない方が多いのではないかと思うのですが、そもそも掃除は「運」を呼び込むためのものという意味合いもあったそうです。そのように考えていきますと、古来からの習慣はただひとつのみの結果を求めているわけではないということが言えそうです。

 

 

 

何となくですが、現在の活きかたは「対処療法」のようなイメージがあります。要はその問題「だけ」に対して何らかの処置を施すというもの。そのため、その問題「だけ」は解決するのですが、今度は他の問題が出てきます。この方法でも抱えている問題すべてを解決することができるのかもしれませんが、相応の時間がかかりますし、解決の途中でまた新たな問題が出てくるとも限りません。その場合、効率の悪さや良くなっているとの実感を得られないまま、他の方法に手法を変えてしまうということにつながっていく可能性があります。

 

では、幾つかの問題に対して効果的な方法はあるのか?

それは恐らく、新たに見つけるよりも「今まであった」方法に立ち返ったほうがいいのではないかと考えています。

一時期、過去の風習等は時代遅れと揶揄され、敬遠されてきたことがありましたが、それが徐々に見直されてきています。また、過去の所作が意味していたものを解析することで、日本人の心と身体にどのような影響を与えてきたかがわかるようになりました。そこから見えてくることは、意識はしていなくても、必要なことはすべて日常に含まれていたということです。その大きさは、見事というよりほかにありません。ひとつの動作が、ひとつの効果ではなく、多方面にわたってよい効果を生みます。それが実は過去既にあった。そこに先人の偉大さがあるような気がしてなりません。

 

断捨離も収納もがらくた整理も、ひょっとしたら先人の智慧をリバイバルしたものに過ぎないのかもしれません。しかし、大切なことが「残っていく」ことはとても重要です。生活だけではなく、景気といったもっと大きなものにまで影響してくる可能性があります。その部分に焦点を当て、しっかりと学びとることが大事だと感じました。

 

 

 

現在は様々な考え方があります。自由もあれば権利もありますので、そこに対して無理に介入することは本末転倒になります。しかしその状況が長く続いているなかで何かが起きたとき、自分の枠の外に出てみて、他の人の話を聞いてみるという選択肢があることを忘れないで欲しいと思います。そこに解決への糸口があります。そのままでいいんだ、と、思っている人も多くいるのが現実ですが、その先に何があるのかを、どこかのタイミングで「しっかりと」考えて欲しいと思います。

 

 

 

気づけば12月も半分が終わろうとしています。

すべて終わらせることができなくても。

足掛かりだけでもなれば、上々と考えて。

また明日から、地道に「がらくた整理」を続けていきますね。