「カッコ悪い」も「カッコいい」も、結局は他人が決めつけている話。
これは昨日の出来事なのですが、かなり予想外な、または予想を上回る出来事が起きました。
本日は遅いゴールデンウィークで休みだったのですが、地域おこし協力隊に課せられているミッションについての勉強会があったため、勤務先である「ら・ふも」に行っていました。
そこで昨日いただいたパフェの話しを出しましたところ、やはりあのお店のパフェは美味しいということ。他にも種類がありましたので、今度は違う味を試してみたいと思います。
さて予想外の出来事と言いますのは、「まさか!」ということなのですが。
そのお店を訪れたのは昨日が初めてだったのですが、入ってみますと普通の喫茶店ではありませんでした。
内装は「カラオケ喫茶」。
そしてふんだんに展示された「木彫り熊」。
ここはいったいどんなお店なんだろう・・・・・・
と、店内に入った一瞬で考えてしまいました。
とりあえず席に座り、珈琲とパフェを注文。
本を読みながら待つことに。
少し落ち着いた所で改めて店内を見渡しますと、色んな作家さんの木彫り熊を展示しているようでした。
実は木彫り熊の世界でも「名を馳せた」方がいらっしゃり、どうやらそのかたがたの作品を展示しているようでした。それらを改めて見て思いますのは、作家によってまったく彫り方も、出てくる表情なども違うということ。それまで関心がなかったのですが、資料館に展示してあるものなどをつぶさに見ていきますと、もちろんひとつずつ違うのです。また、その彫り方によっても印象が大きく変わってきます。ひとえにそれは、この世界の奥深さを表していないだろうかと考えていました。
そして注目すべきが、カラオケの設備(笑)
なんと各テーブルにカラオケ用のモニターがあるのです。
加えてレジ(厨房)前には大きなモニターが。
ここでは高齢者がよくカラオケをされるという話を聞いてはいたのですが、ここまで本格的とは思っていませんでした。そして、歌ってみるのも面白いなと感じました。いや、この日は歌っていませんけれども。汗。
前置きが長くなっていますが、ここからが本題。
注文した品が届き、頬張りながら本を読んでいましたところ、恐らくは常連さんであろう方が歌い始めました。一曲歌った後でその常連さんが店主の男性に語ったことが印象的でした。
それは「家で寝転んでばかりいると声が出なくなるな」という一言。
アタリマエのことなんですが、凄いことを言っていると感じました。
「何もしないでいる」と、「何もできなくなる」ということを理解されています。
ぼくも日々衰えを感じている世代なのですが、純粋に負けていられないと思いました。
話しはここで終わりません。
その常連さん、次々に曲を入力して歌い始めます。
ぼくはそれを聴きながら本を読んでいたのですが、意外な出来事が起きました。
その常連さんは男性の方なのですが、それまで歌っていた歌は演歌もしくは歌謡曲だったと理解しています。
それが、なんと、
松任谷由美の「春よ、来い」を歌い始めたのです。
これにはびっくりでした。
え?まじ!?歌えるの!?という具合・・・
それから数分間は、その方の歌に気を取られてしまいました。
歌っている姿をうかがってみますと、曲のスピードについていけていないようでした。
演歌や歌謡曲と違って、ポップスは多少なりとも曲のスピードが速いのか。
そんな印象を抱いていましたが、すぐに違うものを感じ取りました。
その発端は「なぜ、この曲を歌ったのか」ということ。
いや、単純に歌いたかったのかもしれませんよ。
しかしながら、明らかに歌うのが難しいかもという印象にも関わらず、最後まで歌い切っていた姿を見ると、「これでいい」というように伝わってきました。
いまは声も出ない。スピードもついていくことができない。
でも、練習を重ねていけば。歌い続けていけば。
そのような考えが巡ったあとに、その常連さんがとても格好良く見えました。
そして、反対にぼくは「かっこ悪い」と言われないように、どこかしらで意識してしまっていたことに気がつきました。委縮してしまっていたのではないかと。
かっこ悪くて、何が悪いか。
かっこ悪いが、ダメだという理由はどこにもないのではないか。
心象としてはかっこ悪いことが「責められる」ことにつながると意識してしまってました。
それが「違う」ということに、恥ずかしながらココで気づくことができました。
かっこ悪いなんて、他人が勝手に決めるもの。
本人にとっては、かっこ悪いも格好良いも、お構いなし。
大事なのは、努力し続ける姿勢だとこと。
そうすれば、最初は出来なかったことが、徐々にできるようになる。
それは、すべてに通じることではないでしょうか。
珈琲とパフェをいただきに入ったお店で、衝撃の経験をしました。
その衝撃が、やがて原動力となり、展開につなげていかなくてはならない。
それを感じさせてくれた、大雨の夜でした。