怒りを原因としないように
道南の地八雲町ですが、雪が降り積もったかと思えばざんざん降りの雨となって雪が融け、また路面が出てきたなぁと思いきや、寒風とともに白の使者が一面を覆いつくすという忙しさを発揮しています。
いつものことですが、昨日は凹みました。
凹みましたし、いら立っていました。
職場のノートPC(もちろん自分の)をがんがん殴ってました 笑。
家に帰る気持ちにもならなくって、しばらく職場で佇んでいました。
昨日の日記に書き忘れたのですが、役場との意思疎通と言いますか、言ってくることが人によって変わるというのを改めて実感しました。そのうえで、こちらのやることの組み立てと、役場がわのものごとの組み立てが大きく変わってしまいますので、「は?」という事態になるのだなと考えています。
昨日、打合せの席で課長が話したことの数割に、以前自分が提出した書類あったのですが、それに対して「こういうのをやりたいと思ったんだよ」という肯定的な意見をもらいました。
これだったら前向きに捉えていいじゃないか、よかったじゃなかいかとなるところなのですが、実は課長が肯定的な意見を出した箇所は、以前に「ボツ」となっています。
何かが違うんですよ、と会議の場で言った理由は、実はコレでした。
「ボツ」となった以上は、その話はそれで終わりです。
なので、その提案はすべて「破棄」という認識でいました。
そのうえで「まずはこれをやりましょう」という話になり、特に期限も指定されなかったはずです。
しかしそれが、期限が実はあり、それらを組み合わせた大きな動きになっているなんて。
これは果たして、自分らだけの非になるのだろうか?
素直にそう思ってしまいました。
批判していたってなにも始まらないですし、解決もしないのですが、原因をはっきりさせておきませんと、批判は鳴り止みません。
批判はあくまでもあくまでも、相手にわかってもらうためのものなのかも。
それを聞き入れないのならば(たとえば国政で起きている光景のような)、批判することは即やめてしまい、違う方向へベクトルを向けたほうが引き摺らずに済む。
沈みながらも、今朝はそんなことを考えていました。
今日の午後から、昨日の件を受けて打合せへ。
年の瀬にも関わらず、1時間の時間を創ってくださいました。
その後お店に戻り整理をして、更なるアポ取りと書類の作成。
連休明けには、次の行動に移ることが出来そうです。
いつまでも沈んでいては、最初は気にかけてくれた人も次第に見放してしまいます。
気にかけてくれた「恩」に報いることも大事ですし、恩を「送る」こともまた大事です。
八雲町に移住してきてから、多くの方の「ご厚意」を受け止めてきました。
そのご厚意こそが人間が持つほんとうの意味での「強さ」なのかなと、ふと考えました。