水は、やはり水なのだ。
なかなか明るいニュースが入ってきません。
逆に「よくもまぁそんなこと考えるわな」という報道ばかり目にするようになりました。
新型コロナウイルスという存在は、いろんなものの価値を覆したように思います。
しかし今、自粛の解除が広がり、これまで通りの経済活動に戻りつつあります。
それを良しとする風潮や、心身の実感があります。
それが現実なのかそれとも幻なのかと思いつつ、いろんなことを考えました。
「価値がゆがみ始めている」
「転売ヤー」が大量に出現、時節柄必要なアイテムを高額転売したことで一気に注目を集めることになったのは記憶に新しいのですが、以前はもっと礼節のある活動をしていたように思えます(それはあくまでも行動範囲から)。
しかし「限定商品」や「手に入りにくいアイテム」を企業がリリースするたびに標的になり、高額転売のターゲットになります。これを正当化する論調も転売する側から上がっていましたが、それはどうも客観的なものではなく、自分の目からみたものに限定されるようでした。
商売として、転売(せどりという表現も)は以前からあるもので、決して違法行為などではありませんでした(状況によっては古物商を名乗ることが求められる)。しかし今ではこの転売自体が悪とみなされてしまう印象があります。表現は悪いですが「金に汚い」と思ってしまうのです。そこまで求めてしまうお金とは何なのだろうか。一時はお金ですら価値が落ちてしまうのではという状況を体験したはずなのですが。
手段は選ばず、とにかく儲ける。
見えにくい世界で行われていたことが、だんだんと明るみになってきました。
それほどまでに、仕事をしてお金を得ることが無意味になってしまったのでしょうか。
ぼくは、そうは思えないのです。
状況は同じではないものの、
お金持ちの経営者にくっついたり離れたりする芸能人
自分自身を注目させて利益を確定させる新時代の個人事業主
自分のやりいたいことに対して出資してくれることで愛などを捧げる人
ローリスク・ハイリターンで収入を確定させようと躍起になる人々やそれを煽動(個人的な感覚で表現しています)する人
とまぁ、こんな感じの人を多く見かけるようになりました。
胡散臭い投資話や出処不明なスピリチュアルな話。
不景気になると逆にそういった話がわんさか出てくるということなのですが、まるで人の不幸は蜜の味とでもいうかのような、そんな感じです。
「お金はお金。水は水。」
どんなに付加価値をつけた(と思っている)としても、お金はお金であり、水は水であります。それ以上でもそれ以下でもありません。
かつて札幌に住んでいたときに、「この器具を使った水はすごくいい」という話があり、一定期間使用したことがあります。結局数年で辞めてしまったのですが、結果として確かに良かったものの、心身の回復にまでは至りませんでした。
水は人間の身体の基本となるものです。
だからこそ、いい水を摂りたいと思うのは仕方のないことなのかもしれません。
かといって、その水を毎日しっかり飲んでいるか?と言われれば・・・笑
ぼくの場合ですが、結局は「自分で自分を立て直し」ました。
その一助となったものに、先ほどの水はあったのかもしれません。
しかし勘違いしないでほしいのは、それが「決定打」にはなりにくいということです。
自分で立ち直ろうとせず、何かに依存した状態で立ち直らせてほしいと考えていればなおさらです。
お金も水も、わたしたちを助けてくれるものに間違いはないです。
しかし、その逆もあり得ます。
お金や水も、わたしたちに手痛いしっぺをもたらす可能性は、いつだってあります。
そうならないためにも、この時期をチャンスを好機と捉え、決意を胸に、覚悟を決めて、毎日の生活、仕事やプライベートに勤しんでいただければと思います。