一気に秋が迫ってきました。
夕方17時30分を過ぎますと、一気に日の入りに向かって世界が動きます。
18時になるともう真っ暗。
いつぞやの蒸し暑い日々はどこへ行ったのだと思うほどです。
だんだんと、暗い時間が増えてきました。
この暗さは、何かを反映しているのだろうかと考えてしまいました。
写真ですが、真ん中らへんに子牛がおります。
牛の習性として、ほかのものに興味を持ちやすいと聞いています。
電気牧柵を境界としていることもあり、慌てて逃げるということはありません。
暗闇が近づいている中でも、元気に暮らしているようです。
牛は夜目が効くのだろうかと考えてしまうのですが、動物はこの闇をうまく活用して生きているように思えます。
夜行性という習性もありますが、要は闇を恐れない生き方といえばいいでしょうか。
実は牛も夜行性なのだそうです。つまりは日中に眠るのです。
これを聞いたときは少々驚きました。
人間は古来より、闇を怖がってきたように思います。
星空があっても、月が輝いていても。
太陽の光が逃げ去った世界を、どこかで畏れていたのだと思います。
比喩になりますが、この闇が多方面に侵食しています。
どうして、と思えるほど、闇は数多の人間を墜としていきます。
それが有名人であればいろんな言葉が世界を飛び回ります。
が、同じ状況でも一般人であればこのようなことはありません。
責められることも、責めることもない。
むしろ、無関係を貫くでしょう。
それだけ、誰もが知っているという存在は、望むもの望まないものがついてきてしまうようです。
その痛みや苦しみは、正直どう表現していいのかわからなくなります。
会社においては、それは時に「怠け」と評されてしまいます。
価値観の違いがそのようなレッテルを貼ります。
そうなるともう、生きづらくなります。
自分でさえまともに理解できないことを、周りの人間が理解できる確率は低い。
そんなことを繰り返してきた歴史だと思います。
ではどうやって、その場から抜け出すのでしょうか。
誰かに頼ることも大切です。
ただし条件として、「現実的な」ことが求められます。
理由として、この世界は「現実」ですから、現実的なことを土台として回復に努めなくてはなりません。
「非現実」は、やはり「現実からの逃避」になる傾向が強いと思います。すべてがとは言えないですが、ほとんどがこれになるのではないでしょうか。
季節柄、落ち込みが強くなる時期に入ってくるのかもしれません。
ましてやこのご時世、先が見えないと嘆く人もいらっしゃるのかもしれません。
ただ確実に言えることは、打開の途は必ずあります。
札幌市在住時は、精神的な不調を長期間抱えていました。
それが今ではナントカ、普通に生活することが出来ています。
ぶり返しもありません。
死にたいと思うことはふとあるのですが、危険な領域にまで踏み込んだことはありません。表現は変ですが、「健全な死への渇望」みたいなものです 笑。
これまで死んだほうがマシだと考えていた人間は、地方に移住する前後で覚悟を決めて過ごしてきました。
覚悟を決めた結果、自分に取り憑いていた存在が離れていき、年齢による体の衰えはあるものの、今がいちばん健康で過ごしています。
だからまだ、生きることを諦めてはいけないと思います。
ぼくは40年ほど苦しみました。
そしてやっと、苦しみから抜け出しました。
まだ多少の苦しみは残っていますが、死ぬほどではないと思っています。