つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

暗闇の中でも。

f:id:maruyamabase:20200928211754j:plain

 

一気に秋が迫ってきました。

 

夕方17時30分を過ぎますと、一気に日の入りに向かって世界が動きます。

18時になるともう真っ暗。

いつぞやの蒸し暑い日々はどこへ行ったのだと思うほどです。

 

だんだんと、暗い時間が増えてきました。

この暗さは、何かを反映しているのだろうかと考えてしまいました。

 

 写真ですが、真ん中らへんに子牛がおります。

牛の習性として、ほかのものに興味を持ちやすいと聞いています。

電気牧柵を境界としていることもあり、慌てて逃げるということはありません。

暗闇が近づいている中でも、元気に暮らしているようです。

 

牛は夜目が効くのだろうかと考えてしまうのですが、動物はこの闇をうまく活用して生きているように思えます。

 

夜行性という習性もありますが、要は闇を恐れない生き方といえばいいでしょうか。

 

実は牛も夜行性なのだそうです。つまりは日中に眠るのです。

これを聞いたときは少々驚きました。

 

 

人間は古来より、闇を怖がってきたように思います。

星空があっても、月が輝いていても。

太陽の光が逃げ去った世界を、どこかで畏れていたのだと思います。

 

比喩になりますが、この闇が多方面に侵食しています。

どうして、と思えるほど、闇は数多の人間を墜としていきます。

それが有名人であればいろんな言葉が世界を飛び回ります。

が、同じ状況でも一般人であればこのようなことはありません。

責められることも、責めることもない。

むしろ、無関係を貫くでしょう。

それだけ、誰もが知っているという存在は、望むもの望まないものがついてきてしまうようです。

 

その痛みや苦しみは、正直どう表現していいのかわからなくなります。

会社においては、それは時に「怠け」と評されてしまいます。

価値観の違いがそのようなレッテルを貼ります。

そうなるともう、生きづらくなります。

自分でさえまともに理解できないことを、周りの人間が理解できる確率は低い。

そんなことを繰り返してきた歴史だと思います。

 

ではどうやって、その場から抜け出すのでしょうか。

誰かに頼ることも大切です。

ただし条件として、「現実的な」ことが求められます。

理由として、この世界は「現実」ですから、現実的なことを土台として回復に努めなくてはなりません。

「非現実」は、やはり「現実からの逃避」になる傾向が強いと思います。すべてがとは言えないですが、ほとんどがこれになるのではないでしょうか。

 

季節柄、落ち込みが強くなる時期に入ってくるのかもしれません。

ましてやこのご時世、先が見えないと嘆く人もいらっしゃるのかもしれません。

 

ただ確実に言えることは、打開の途は必ずあります。

札幌市在住時は、精神的な不調を長期間抱えていました。

それが今ではナントカ、普通に生活することが出来ています。

ぶり返しもありません。

死にたいと思うことはふとあるのですが、危険な領域にまで踏み込んだことはありません。表現は変ですが、「健全な死への渇望」みたいなものです 笑。

 

 

これまで死んだほうがマシだと考えていた人間は、地方に移住する前後で覚悟を決めて過ごしてきました。

覚悟を決めた結果、自分に取り憑いていた存在が離れていき、年齢による体の衰えはあるものの、今がいちばん健康で過ごしています。

 

だからまだ、生きることを諦めてはいけないと思います。

ぼくは40年ほど苦しみました。

そしてやっと、苦しみから抜け出しました。

まだ多少の苦しみは残っていますが、死ぬほどではないと思っています。