つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。このたび不定期更新に切り替えました。

令和3年2月の読書感想文② 神さまを待っている 畑野智美:著 文藝春秋

久々に図書館でア行から順に棚を眺めていった際に目に留まった本です。

 

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神さまを待っている 畑野智美:著 文藝春秋 八雲町立図書館蔵

 

 

この本を借りた(読んだ)理由としては

 

・帯にショッキングなことが書かれていたという点

・コロナ渦にありそうな話だと感じた点

 

があります。

 

 

主人公は派遣社員です。

 

勤め先では、一定期間勤め上げると、正社員として雇用されるという一種の規定(のようなもの)がありました。主人公はその勤務期間満了が近づいた頃、上司に呼び出され、正社員としての雇用は出来なくなったと告げられます。加えて、契約期間は決まっているので、派遣社員としての再雇用もない、と通告されます。

 

そこから、ずるりと貧困の手が伸びてくるのです。

 

主人公は精一杯、日々を生きていくためにはどうすればいいかを考えて行動していきます。が、日に得ることのできる収入の少なさに愕然とします。それでもどうにか社会復帰をしたいという思いから、志を捨てずに努力を重ねていきます。

 

 

 

これは、都会に住む人であれば、誰にでも起こりうる話です。

派遣社員という雇用形態が悪い、という風潮はかなり前からありましたが、今では正社員であったとしてもどうなるものかわかりません。どのような地位にいたとしても、決してそこは安住の地位ではなくなってきています。年末になるとよく、年を越せないという人のために炊き出しをしたり、部屋を用意したりという報道が流れますが、日常の中に、既に日々の生活に対して行き詰っている現状があるということが含まれているのならば、それはやはり悲しいことでしかありません。望む者もそうでない者もいるとは思いますが。

 

印象的だったシーンがありまして、それは主人公を「這い上がれると思っている」と評し、嫌悪感を露にする、同じ立場の人たちがいるということです。そしてこれは主人公ではないのですが、人の忠告(または話)を聞こうとしないが、自分はあれこれと人に対してモノを言う存在が描かれています。この部分は僕自身も経験がありますし、誰しもそのような経験はあると思います。コミュニケーションの一方通行は、環境と関係を殺伐にしていくのです。

 

このまま陰鬱な状態で終わりを迎えるのかと思ったのですが、光明が差したかたちでエンディングを迎えます。それは神さまが向こうから「やってきた」のではなく、自分で歩んできたことの結果が出たかたちになりました。描かれている内容は奇跡と思えるほどのものですが、それは決してそうではない、と思えるものになっています。

 

 

今や多くの人が、神さまを待っているのではないかと思います。

しかし現在では、「自分は特段動こうとせず」神さまを待っている状況にあります。

この待ち方をしている人が特に多い。

そういう人に限って、「神さまは来ない」と感じています。

 

訪れた出来事は「神さま」と表現してよいと思われたのがこの作品でした。

ただその背景には、確実にその人自身の信念があり、行動があったからだと言えます。

いろいろと考える内容の作品でしたが、読み応えある作品でもありました。