つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。このたび不定期更新に切り替えました。

世界は脅迫する。

世界情勢がリアルタイムにわかるようになってから、果たして何年経過したのでしょうか。

 

 

日本以外の国での出来事はなんだか物語のようで、あまり実感は湧きません。

例えば食品が輸入されてこなくなったですとか、物価に変動があったときには、日本の外の出来事が日本にも影響しているんだなというのが実感してきます。

 

しかし、自分の目で外国の、その出来事を目にしたわけではありません。

どう処理すればいいのだろうという迷いが、時折巡ってきます。

 

 

 

 

近年、日本以外の国での出来事を引き合いに出しては、日本は遅れているとする酷評を発信する人を見かけます。いや、それとは関係なしにこき下ろす人がいると言えばいいでしょうか。日本に住みながら日本の外の国の出来事を見ては自国を非難する。

それで何かが動けばいいのかもしれませんが、そんなことでは何も変わりません。

まるで自分がジャンヌ・ダルクのような存在になって、ムーブメントを興したいと考えているのかもしれません。いや、ただ注目を集めたいだけなのかもしれません。

世界を使って日本を貶める行動は、これからも続くでしょう。

 

もう一方で、世界は確実に日本を脅迫しています。

言い換えれば外交ですが、資源の少ない日本は、何かと詰められていると感じます。

日本は、日本の外の国からもいろいろと言われている。

 

日本は、日本の外からも、そして日本国内からも、脅迫されているようなものと思います。

 

 

 

世界は、まさしく自国の利益のみを追求するようになる。

そこに公益は関係なくなります。

公益とは言っても、必ず自国の利益につながるパイプを作っています。

それを非難したいところですが、企業や非営利法人などでもその動きは活発化しています。

 

つまりは、資金がなければ何もできないということです。

 

 

世界は、自国が生き残るためなら何でもすると思います。

 

既に起きている紛争もそうですし、これから起こりそうな紛争もそうです。

脅威を誇示する国もあります。扇動に恐れる国もあります。

しかしどこの国も、他国と手を結ぶことは二の次になってきています。

自国が生き残るために、一時的に手を結ぶだけです。

 

世界はだんだんと、悲しい空間へと変わってきました。

 

 

 

世界はもう、引き返すことはできないのでしょうか。

 

助け合いもなにも、平和でなければ難しいのでしょうか。

 

であるならば、紛争や戦争や各兵器は何のためにあるのでしょうか。

 

平和のための努力とはいったい何を指すのでしょうか。

 

わたしたちはもっと、地球の中にある世界を知っていく必要があります。

無益な脅迫を行わないためにも。