つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。このたび不定期更新に切り替えました。

令和5年2月の読書感想文④ わたしは「ひとり新聞社」 菊池由貴子:著 亜紀書房

コーチャンフォー旭川で平積みされていた本。

「新聞」というキーワードがひっかかり、購入しています。

 

 

わたしは「ひとり新聞社」 菊池由貴子:著 亜紀書房 個人蔵

 

副題は「岩手県大槌町で生き、考え、伝える」。

 

大槌新聞というローカル紙、10年の奮闘記となっていました。

(現在はWeb媒体に移行)

 

www.otsuchishimbun.com

 

装丁が新聞のようにデザインされているとともに、イラストがハードルを下げてくれているように感じました。このようなデザインだと、若い世代にも手に取ってくれるかなという感じに思えます。

 

本書はひとりの女性が震災をきっかけに、故郷である岩手県大槌町のために起こした行動を記録したもので、ノンフィクションの部類になります。著者であり、大槌新聞の創設者であり、様々な業務をこなす「ひとりだけのスタッフ」である菊池さんは、大病を患いながらも、東日本大震災で思うところがあり、大槌新聞を立ち上げます。その苦労はと言いますと、本書を読んでいただきたいくらい。その「くやしさ」が何度も何度も伝わってきます。逆に言えばそれくらい「大槌町のために」という思いが溢れていることがわかります。

 

本書は大槌新聞の10年を記録したものですが、それに合わせて岩手県大槌町で起きた出来事にも触れており、補完されるべき内容を過分に含んでいます。震災というセンシティブでやりきれない出来事とひとりで対峙し、新聞という媒体で伝えていくのは、並大抵のことではなかったと思います。ひとつ間違えばそれは「独りよがり」にも捉えられるからです。実際はどうだったのか、どのように受け止められていたのかの詳細はわかりませんが、「町のため」という原動力は、かなり大きい動力だったのだなということがとてもよく伝わってきました。

 

 

人が何かに打ち込むとき、「〇〇のため」とよく言いますが、その傍らには「自分のため」という思いも存在しているということを、著者は本書に記されています。自分のためというのは恥ずべきことでは本来ないはずです。一部の心無い「自分のため」は残念ながら存在していますが、このような想いがあることは、忘れてはいけないと思います。