つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。このたび不定期更新に切り替えました。

いじめはすべての悪事につながっていく。

北海道新聞10月5日の1面に

 

「道内いじめ3万4499件」との見出しが載りました。

コロナ渦が明けてになりますが、前年度比50%越えだそうです。

そうなった背景には、「いじめを積極的に認知する」との姿勢があったようです。

 

 

 

今も昔も

 

いじめはどこかしらで起きています。

しかしながら学校ではいじめです。社会ではどうなのでしょうか。

近代化が進むにつれ、こういったひずみは大きくなっているような気がします。

わたしたちは何を得た代わりに、何を喪ったのでしょうか。

 

 

いじめの余波は確実にある

 

この世界ではいじめを悪いものとして認知する場所と、いじめは然るべきことだとして認知してしまう場所があります。つまりは「これはいじめではない」というものです。そんな認識の壁が、世間一般のいじめを増大させてきました。そしてそれが今、戦争を代表する争いや国家間のいざこざにつながり、仕事での取引関係につながり、もっと低いレベルでは煽り運転につながるのではないかと感じています。「自分は強者だ」と勘違いしているところが、いじめが与えた麻薬のようなものだと考えています。

 

 

 

いじめはもはや戦いで、

 

サバイバルです。決してゲームではありません。自分が蹴落とされれみじめになることを想定することが出来ないまま、他者を蹴落とそうとします。そのバランスが崩れないように、狡猾かつ徹底的に相手を潰していきます。これに対抗する効果的な手段は何なのでしょうか。世間の声を見てみると、警察の介入や弁護士等からの連絡というものがありますが、「子ども同士の」という甘い前提がつくことで、他者の介入を嫌う風潮があります。しかしながらいじめはもう社会問題ではなく、国家の問題とみるべきです。これを解決しないことには、犯罪率の低下や税収の増加などは見込めないでしょう。ざっくりとした言い方になりますが、国民の品格が低下してしまいます。そうなると、国が荒れていき、そして貧困になります。そうなるともう、逆行といいますか、退化になります。それを受け容れることが出来ず、いじめを行ってきた人間は更にヒートアップするでしょう。

 

 

 

いじめ解決にはノーベル賞

 

いじめは世界でも起きています。顕著なのは人種の違いによるものです。

ブレイディみかこさんの著書等を見ると、日本と同等かそれ以上のものがあります。

 

だからこそなのですが、世界のいじめを撲滅させる仕組みを作って欲しいと願います。

それは数十年先の争いを根絶させるからです。平和とはまた違った平穏になると思いますが、大きな悩みがなくなります。これは国家や世界の繁栄につながると思うのです。どうか研究者・実践者はこれに取り組んでいただき、いつかノーベル賞を受賞してもらいたいと個人として願います。そういった世の中が来て欲しいと祈ります。

 

 

どうかいじめが、この世から消えてなくなりますように。