つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。このたび不定期更新に切り替えました。

開発と保護は相容れないのか。

北海道新聞10月15日の1面に イトウ「聖域」風力59基との見出しが出ました。

猿払川周辺に風力発電の風車を建設する事業計画が浮上したとのことで、懸念の声が上がっています。

 

こういう構図は小樽市方面でも起きており、環境に対する意識が向上しているとともに、懸念ばかりで開発が進んでいかないというジレンマを抱えています。

 

 

今回の猿払に関しては、稀少な魚である「イトウ」の生息地であることから余計に環境団体などの懸念を刺激したと言えます。北海道は手つかずの自然が魅力です。それを見たくていらっしゃる旅行者も多くいます。そういった環境の中で発電施設を造るということはどういうことなのかを考えると、遠い未来北海道は自然の宝庫とは言えなくなる可能性が高まってきます。

 

 

 

開発は環境変化を及ぼす

これはどう見ても確定なんだと思います。電力が足りない、水が足りないといって事業者は公共インフラを整えますが、少なからず自然に手を入れることになります。手を入れることにより、自然の生態系にどう影響を及ぼすのか、または及ぼさなないのかは「不透明」だと認識していますが、現在の論理としては、「何もしない=影響を及ぼさない」というものであるように見えます。つまりは何もしてくれるなということなのですが、その反面、わたしたちの電気の使用量は増えて行っています。ではどうやって電力をはじめとした公共インフラを整えていけばよいのか、新聞記事内には深く掘り下げた文言を見つけることはできませんでした。ということは、言葉は悪いですが、「懸念」だけ表明して、改善策は事業者に丸投げ、というようにとることもできます。

 

そんなことは環境団体じゃなくても出来るんですよ。

 

 

まもるだけでは変わらない

現代は凄く保護活動が強くなっています。しかしながら資金力は思うほどあるわけではないので、活動は限定的と思えます。そんな中、今ある種が滅んでいかないよう、率先した活動をされていると認識しています。

 

保護活動は同時に、絶滅が危惧される状態からの脱却を目指す活動をしています。

そうしないことには活動の意味がないからで、「静かに見守る」では限界があります。

生態系は自然環境にも大きく影響していきます。生態系が変わることは、わたしたちの生活にも大きく影響していくことだと言えます。別件ですが、最近騒がれている熊や鹿の市街地での目撃は頻発に起きていることがいい例になっています。保護の定義は「種を減らさせない」というようなものとイメージしていますが、逆に多すぎる場合はどうするのか、そういった意味での「保護」にも今後は注目です。

 

 

 

日本は「聖域」の国である

北海道に限らず、日本は自然環境が溢れる「聖域」の国だと感じています。

その中で、経済成長を支えるがために、様々な開発が日々行われています。

保護はダメだとは言いませんが、現時点での保護は、この開発を遅らせ、または一時停止させ、「経済を停滞」させることに確実につながることを意識しなくてはなりません。

 

日本は高度経済成長を経て先進国の仲間入りを果たしましたが、開発ばかりでメンテナンスを少々疎かにしてしまいました。今後今あるインフラの更新を迎え、それを機会とした開発が進められていくのではと想像しています。電気ガス水道などなくても生活できるという人は一定数いますが、先人と比べて私たちには生活力がありません。もはや公共インフラは必須のもので、絶やしてはダメなものになっています。そんな中で、こんなもの必要ないと吹聴するのはいただけません。文明は効果的に使うべきではと思うのです。

 

 

今後、高齢化等も進み、この環境団体も満足に活動できなくなるタイミングが出てくるものと思います。そうなった場合、誰かが手を差し伸べてくれるのか?それとも行政等に「責任だ」と言いながら押し付けるのか?自然保護に対する考え方のラインを統一していかないと、今後は混乱ばかりなのかなと思いながら記事を読んでいました。