つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。このたび不定期更新に切り替えました。

性善説が喰われてゆく。

北海道新聞10月23日の第1社会面に、「無人販売店 相次ぐ窃盗」という見出しが載りました。昨今急展開を見せている無人販売店ですが、そのシステムを悪用して窃盗が繰り返されているというものです。

 

無人販売店のきっかけは新型コロナウイルスによる対面販売・接客の課題解消を目指して登場。その後急激に普及しています。よく聞くのは餃子の無人販売店。自動販売機とは異なるシステムで商売を行っています。

 

 

しかしながらここから無人販売店を利用した窃盗が度々発生。

ワイドショーや新聞報道等でも触れており、記事内でも「件数は増える一方」だという。どうしてこうなったのでしょうか。

 

 

 

性善説が踏みにじられる

ひとつの要因はやはり「貧困」にあります。これは今に限った話ではなく継続的にある問題ですが、コロナ渦になって収入に大きな変化があった人は少なくないはずです。そうなるとどうしても、商品を買わずに商品を持ち出す行為を想定してしまいます。店舗内に人がいなければ好都合と考えているかもしれません。防犯カメラがあっても、その方向に顔などを向けなければ身元が割れることがないと踏んでいるフシがあります。

 

こうなってしまうと、倫理や道徳が無視され、「自己利益」のみが重視される傾向が強まります。それは昨今問題になっているインフルエンサーの問題行動による収益の確保と共通するものがあります。

 

つまりは「自分への利益のためなら他者が被る損害は必要範囲内」と考えているということで、極論を書けば「金のために人は人心を踏みにじる」ということになります。

 

 

 

産業の委縮と最後の逃げ道

窃盗を代表する、「適正な取引」を経ずに商品を横取りしようとする行動は、産業の委縮を招きます。つまりは、「お店を開いても損失ばかり」という流れです。そういった「自分勝手な行動」が続くと、路面店が次々に姿を消していくでしょう。ひょっとするとコンビニもその対象になるかもしれません。そうなると最後は「オンライン」での商業展開になってしまいます。そうなると「買う」しかなくなります。不良品だのとクレームをつける顧客は一定数出てくると予想しますが、発送前の検品が徹底化され、履歴がデータとして残るので、目に余る行為をする客はで利用不可措置を受けるでしょう。そうしてどんどん利用可能範囲を狭めていきます。当人は今を生きるために必死なのかもしれませんが、その方向を考えるべきです。その浅はかな行動が、今日の日本の衰退の一部を担っているという事実を。

 

 

 

お金は薬であり毒

物品の交換手段として用いられているお金は、生きていくうえでは必要です。

だからと言って、倫理や道徳を無意味と考えるのは違います。

自身にお金がなくなったとき、残るには形には見えない倫理や道徳、つまりは精神になります。もしかしたら、その精神で生き永らえることができるかもしれないのです。それを「放棄」してしまっている場合は、行きつくところは自ずと決まってしまいます。

 

お金はときに薬になり、毒になります。

お金と人間の立ち位置、距離感を意識して、人としての矜持を保つ。

今は苦しいかもしれませんが、打開策はある。

相手を慮る行動こそが、日本を美しくし、反映させるのかもしれません。