社会問題を解決することこそ。
日本農業新聞11月1日のJA面(5面)に、「移動販売車 離島へ」という記事が載りました。
買い物という喜び
JA山口県と萩市がタッグを組んで、萩市の離島である相島へのJA移動販売を始めたというもので、週1回ではあるものの、移動販売車がフェリーに乗って相島に入り、販売を行うというもの。記事には「長い間の願い」が実現したとの一文がありました。
島内には食料品店がないことから、相島に住む59世帯109人は本土へ買い物に出ていたそうです。おそらく、日本ではこのような光景は他にもあるのではないでしょうか。
いわゆる「買い物難民」は、離島だけでなく、地方都市にも大都市にも起きている現象です。札幌市の話では中心部より離れた住宅地域でスーパーが閉店し、近所にスーパーがないという現象も起きていたことを思い出しました。
都市部に住んでいても、買い物をするには移動手段が必要になります。高齢になると、自動車での買い物はだんだんと難しくなり、公共交通機関を使うか、近隣での買い物で済ませるかになってしまいます。しかしながら周辺にお店が無くなってしまうと途端に立ち行かなくなります。そのため空き店舗になってしまった場所への「再誘致」が起きている状況になります。
買い物は日常の一コマです。しかし、買い物できることに対する感謝を持つことは少ないのではと思います。理由は「買い物できることがアタリマエだから」。
都市部ではコンビニも充実していますから、買い物に困るということはまず起きません。
では買い物が出来なくなったら果たしてどうなるのでしょうか?
落胆?逆切れ?そこに「感謝することに気づかなかった」は存在しないかもしれません。
いつまでもあると思うな、というのは、買い物が出来る場所にも通じそうです。
社会問題はこれからも出てくる
都市部の疲弊化と括って書いてしまいますが、これが大きな要因で社会問題は続出してくるでしょう。それを解決する「社会起業家」という人たちも出てきていますが、大きなムーブにはなっていない印象です。また、「個人事業主」または「フリーランス」を自称する人たちが続出し、最高利益を出し続けていると発信しています。しかしながらそれが自治体への税収として反映し、何らかの問題解決につながっていることまでは触れられていません。悲しい事実ですが、世間は「自己の利益」に固執するようになってきました。そのため、公共の場への利益還元という動きは見られなくなってしまったのです。
買い物がしたいという想いは、そこにいろんな「明るい未来」を想像したいからだと思います。「アタリマエ」という想いが無ければ、買い物できることへの感謝があり、働く意欲へもつながってくると思います。そこから「利益を得ることの意味」を身を以て知ることにつながります。一連のサイクルがあってこそ、世間や世界は成り立ちます。
問題を解決する。願いを叶えるために、仕事は存在します。その御褒美のひとつが「買い物」ではないでしょうか。その機会が、少しでも奪われることのない社会になることを願いたいと思います。