つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。このたび不定期更新に切り替えました。

令和6年2月の読書感想文④ 現代語訳般若心経 玄侑宗久:著 ちくま新書

この年齢になると、改めてお経ですとか、古文や漢文の類を読みたくなります。

理解は一度では追いつきません。こういう本は何度も読んでこそのものだと思っています。

 

お経等に触れるとき、どうしてもそのお経を唱える宗教や団体の影が見え隠れします。しかしながら本来はそういった組織など関係なく、万人に広められるべきのものだと考えています。その組織に属しかつ特定のお経を唱えていくことこそが救いにつながるという考えは、古来のものではなく現代的と言わざるを得ません。その確信を持つのは自由ですが、その証明の多くは死後でなくてはわかりません。現世での証明はその感得に個人差があります。神仏の恩恵と捉える人もいれば、そうではないと主張する人もいるのです。

 

現代語訳般若心経 玄侑宗久:著 ちくま新書 個人蔵

 

超がつくほど有名なお経であり、解釈や現代語訳も多く出ているお経でもあります。

玄侑宗久さんは僧侶であり、作家でもありますが、そういった立場の人がどのようにこのお経を伝えていこうか、というのがよく伝わる作品で、何かに偏らずに書いていくことがとても大切に感じるものとなりました。

 

 

般若心経は、解釈が難しく感じます。なので、何度も唱えることが大切です。

同時にそのお経を学ぶこと、その背景を知ることで、お経の成り立ちが見えてきます。ただそのお経を唱えることに比べると、大きな違いが生まれるかもしれません。

わたしたちは最近特にそのものの背景を知ろうともせず、何かしらの品評をしがちです。ものが作られるということは、そこに至るまでのプロセスがあります。般若心経がどのような想いの中で編まれていったのかを知ることに、一つの知覚が生まれるのではないかと個人として考えています。

 

般若心経は、古来から続くお経のひとつで、文化文明のひとつでもあります。

可能であれば、組織ではなく個人として、このお経に触れ、体験して欲しいなと思います。