こどもか大人かは関係ない。大事なのは、生きかたや考えかた、感じかたなどをどのようにみつめ、向き合っているかです。~札幌サドベリースクール~
2週間ほど前のことでしたが、
札幌サドベリースクールのクリスマス会
にご招待をいただき、参加してきました。
札幌サドベリースクールは、いわゆるフリースクールになります。
じゃあなんでそことつながりがあるのかと申しますと、スクールのスタッフに「木育マイスター」の同期が在籍しており、ちょこちょこではありますが、現場が一緒だったこともあり、このスクールの存在を知るに至りました。加えて今年の6月ごろ?に、製本の手伝いに1度お邪魔したことがあります。その日スクールはお休みでしたが、スクールを利用している親子や他のスタッフのかたと、交流を持たせていただいたことがありました。
札幌サドベリースクールのHP
クリスマス会の存在はお誘いを受けるまでまったく知らずにいました。会はお昼頃から夜まで行われるということで、ぼくは夜の部からの参加ということで声をかけていただき、せっかくなのでと参加することに。実際、参加するまで、この夜の部は単純に飲み食いするだけの会だと思ってました。
ところがどっこい。
会場についてみると、どうやら出し物の途中だったらしく、子どもたちが右に左に大移動中でした。何やらクイズラリーのようなことをしており、問題を持っている大人のもとへ、集団で移動していたのです。整然とした動きのようにも見えましたが、クイズに答える様子はこどもパワー全開で、答え合わせをする前に次々と答える声が飛んでくる状態。そんな光景を横目に見ながら、挨拶を済ませ、会費を払い、かんたんな説明を受けてから、腹ペコだったぼくは速攻でテーブルに乗っているお食事をがっつき始めました(汗)
ちょっと落ち着いてから会場を改めて見回してみると、こどもたちは縦横無尽に会場を走り回りながら遊ぶ中、大人(保護者)たちは椅子に座ってまったり(笑)。どうやら食事は早々に済ませてしまったようで、あとは遊ぶだけ、あとは飲むだけといったところのようだとこれまでの流れをお聞きしてようやくわかりました。
しかし、この後もどうやら出し物があるらしいことを、ホワイトボードの書き込みを見て気がつきます。よく見ると、子どもの出し物と大人の出し物と混合しているようです。これを見ただけの印象としては「盛りだくさん」なものを感じました。目いっぱい楽しもう!という、その場に参加しているひとたちの総意にも感じるようでした。
宴のあとに撮った1枚。
写真はこどもたちも写ってしまうため、こどもたちとは関係ないものを収めてきましたが、この夜の、この場所にいた、ここだけの時間は、ぼくにとってもとても特別なものとなりました。
印象に残ったことを書いていきますと、まずこどもたちの出し物に驚きました。
最初にぼくが見たこどもの出し物はなんと「漫才」そして「コント」。
何が驚いたのかといいますと、演じているときの佇まい。いわゆる「姿」です。
なんだかこういう場所でのお披露目というのは恥ずかしいし、なんだかやっつけ仕事のようにやってしまうところですが、舞台に立ったこどもたちはみな「本気」でした。そして本気でじぶんたちも「楽しんで」いました。
その表情に驚かされたのに加え、セリフが何と完璧。
棒読みではなく、しっかりと抑揚をつけて話しているというのが素晴らしい。
これだけでも、相当練習したことがわかります。
羨ましかったのは、やはり軽快な動きです。四十路を迎えたぼくには、そのような動きはできません。これはもう、完全な嫉妬です(笑)それくらい、動きに迷いがありませんでしたし、しっかりと動いていた、ということになります。
その後のコントも設定は少々難しかったように思います。
しかしながら、セリフはすべて暗記しており、勢いで語尾は本来のセリフからは少し離れてしまっていたようですが、それでも立派にこなしていましたし、会場全員の笑いを生んでいました。これは単純に笑いだけではなく、驚きも含まれていたでしょう。それだけ、こどもたちの出し物の凄さというものを肌に感じたのです。
そのほかの出し物は楽器の演奏もあり、こちらは緊張しながらの演奏でした。その緊張がこちらにも伝わってきましたし、一生懸命さも伝わりました。その演奏を聴いている誰もが「がんばって!!!」という、声にならないエールを演奏者に向けていたとわかるほどの素晴らしい空間が出来上がっていたように思いました。
最後に驚かされたのはなんと
「プラネタリウムの上映と星座のアナウンス」。
この手法がまた驚きました。
何やら照明云々といった準備があったようなので、プラネタリウムをやるということは事前にわかったのですが、なんと投影する場所が「壁」ではなくてなんと「天井」だったことに驚き。
まさかプラネタリウム以外の場所で、しかも室内で、満点の夜空に輝く星空を見るとは思いませんでした。
会場が歓声で満ち溢れました。
この時点で、この発想力の「素晴らしさ」を感じましたし、それを実行に移す「やりきる」強さも感じました。
実は途中、表示すべき星のスライドが暗闇のためライトに照らされるまで時間がかかりました。このような時間は、とても長く感じます。それは観客も、そして実施側も同様です。ひょっとすると、ちょっとしたパニックになるかもしれません。それくらいの「間(魔)」が出来ていました。その間観客は一言も発せず。サポートをしているスクールのスタッフがそばについていましたが、自分から何かをやることはせず、こどもの自発的な動きに任せているという姿勢に見えました。それは決して手は出さないという訳ではなく、ひとつ言えば10理解するといったような「ヒント」を与えるだけといったような立ち位置で、大きな混乱に陥ることもなく、無事にプラネタリウムは終了しました。
途中途中はスクールのスタッフ(大人)による出し物もあったのですが、何だか大人の出し物が見劣りしてしまって。だけれど、大人の出し物も準備や練習が必要な、とても立派な催しだったのです。それくらい、こどもの出し物がとっても素晴らしいということを伝えたいのです。
ぼくは教育現場にいる訳ではないので詳しくはわからないのですが、この出し物に対する、担当したこどもたちの姿勢にとても感動しました。内容はお世辞にもかんたんなものではありません。そしてどこか、じぶんたちでハードルを上げているようにも見えました。しかしそのような状況でも、「やるべきこと」をしっかりと押さえ、そして「何をやるべきか」というのをしっかりと把握しながら、当日を迎えたというのが容易に想像できました。これはあくまで個人的印象ですが、こういった出し物をする際、こどもはまずいい顔をしません。そうなるとやはりどこか投げやりになり、やっつけ仕事のようになると思います。今回拝見した出し物すべて、そのような後ろ向きなものは一切ありませんでした。前述しましたが、当の本人も「楽しんで」いるのです。それはある意味、究極です。境地です。今年はオリンピックがありましたが、そのコメントの中で「楽しみたい」という発言があったと思いますが、まさしくそれを貫いているように見えました。そう考えると、そのような取り組みはこどもだからできたのではなく、誰にでもできることであり、ひょっとしたら、大人よりもこどものほうがちょっとばかりその場所に行きやすいのではと感じました。
ここまでのこどもの姿を見ると、およそ普通には思えません。
このように育てられてきたこと、そしてみずから育ってきたことが言えると思います。
フリースクールの活動方針は、やはりスクールごとに異なると思います。
そのような中に於いて、まさしく画にかいたような「のびのびとした」姿に成長したこどもたちを見ると、このような場所の存在意義は間違いなくあると感じました。
こどもたちにそれぞれ合った「場所」がある。それは普通の学校かもしれないし、フリースクールといった、学校とは違う「場所」かもしれません。これはもう出逢いに任せるしかありませんが、そのマッチングがうまくいったときには、必ずしも「成果」と表現することは出来ないかもしれませんが、こどもやその保護者に、大いなる「変化」が訪れると思います。
保護者が「環境」に求めるものは、たくさんあります。
そのすべてを備えているところは、ひょっとしたらあるのかもしれませんし、ないのかもしれません。それでも、多くの保護者は、わが子にとって最高の環境をと思い、奔走したり、その環境を管理する人に熱心にお願いします。
しかし、その多くを備えた環境が、こどもにとって「最高」かどうかは正直わかりません。ぼくが今回のクリスマス会にお邪魔して感じたことは、こどもにとって「最高」の環境ではなく、「最適になる」環境ではないだろうかと感じました。最初から最高かどうかはわかるかもしれませんが、最適かどうかは通ってみないとわかりません。ひとと環境との絶妙な科学反応こそが、古来から求めてきた、ひととしての成長なのではないかと感じました。
この記事を書くにあたり、自費出版(私家版)された「札幌サドベリークロニクル」を購入し、一読しました。かんたんに感想は言えないのですが、このスクールの理念等を読んでいくと、なんだか「教育」とは思えず、かなり小さい単位の「社会」ではないかと思いました。もちろん、授業はあります。授業はあるのですが、何をどうするのかを当のこども本人に一任している印象を受けます(実際は違うかもしれません)。それはつまり、こどもをひとりの「にんげん」として尊重し、理解していることにつながります。これはひょっとすると、義務教育の中では考えられないことかもしれません。それほどの大きな違いが、ここにはあるように感じました。もっとかんたんに言うと、1日の行動をこども本人に決めてもらうといったイメージです。実際クラスがあるのである程度カリキュラムは割り当てられていると思うのですが、とても自由さを感じましたし、何より「枠」を感じませんでした。それはおとなの都合で「これはこう」といった固まったイメージなどどこにもないというものであり、逆にそれは運営側の軽やかな覚悟であることも伝わってきました。ただこれはあくまでも個人的印象であり、実際に授業の様子などを見学したほうがよくよくつかめると思います。ただ今の時点で言えることは、こういう場所があるのは非常に嬉しいことであり、お世辞抜きにこの場所はもっと必要になる、ということでした。
とても読み応えのある本でした。
催しに参加したはずが、とても大きな学びや気づきを得て帰ってくることになるとは、まったく考えもしませんでした。ここまで教えられる、というのは上から目線ですが、たった数時間の中で得たものは、あの時間以上に濃密であり、純粋さに満ちていました。それに気づくことが出来たのが幸いというべきでしょうか。今思うとあれは恩恵や恩寵の類だと言ってもいいかもしれません。よく「恵み」を意識するとき、物質的なものを望みがちですが、目に見えないものでもたらされることもあるのだということ。それに気づくかどうかは、そのひと次第だということ。気づきは至る所にあるという、普遍的なものを身をもって知ることが出来たように思いました。会の中で初めてお逢いするスタッフのかたもいらっしゃったのでかんたんに挨拶を済ませ、感想などをお話させていただきましたが、こどもたちだけを見守るのではなく、何となくですが保護者のかたをも見守っているように感じられました。視線というか、姿勢というか、接しかたが違う。このひとたちの本気度は、そんじょそこらのひとたちと比べても並大抵ではないというのを、少しながらも感じ取ることが出来たと思います。
こどもたちの出し物の様子から、こんなにたくさんのことが伝わってきました。
それをじぶんなりに受け止め、感じ、そしてじぶんの生きかたに反映させていく。
そのサイクルがもっともシンプルで、すばらしき成長の過程なのだと感じました。
最後にごくごく個人的なことですが、大人の出し物でも心を揺り動かされる出来事がありました。
その出し物は、スタッフの方がピアノの伴奏に合わせて歌を歌うというものだったのが、その曲がコレでした。
実は、とある時期から意識的にMr.Children(ミスチル)の楽曲は聴かないようにしていたのです。良くも悪くも、いろんなことを思い出してしまう引き金になってしまうからで、ぼく自身が持っていたCDもガラクタ整理に出していました。
それが思いがけず、といったかたちで聴く羽目になってしまいました、と、書くところなのですが、この曲はじぶんなりに特別な思い入れがあった曲であったことを即座に思い出しました。
改めてこの曲を聴いてみると、凄くシンプルなのです。楽曲のリズムも、そして歌詞も。
当時は若造でしかなかったのですが、この曲を聴いて励みにしていた時期があったことを一瞬にして思い出すことになりました。まさしく、タイムスリップ。あの時考えていたことはアホなことが多かったですが、それなりに理念や理想を持ち始めていた頃でもあります。今はその理想がアホらしいと言われ、現実いちばんと叫ばれ、お金がないとやはり駄目だと振り出しに戻るような堂々巡りの様相を見せています。お金は悪者ではありませんが、お金の見方、捉え方やそこに投影してしまうものが問題なのではと個人的には感じています。そのような辛いやりとりを経験してしまったからこそ、ときにぼくは「甘ちゃん」と言われるのかもしれません。
それでも。
理念は持ちます。理想も捨てません。
じぶんが本来望んでいた展開、そして誰の力でもなく、自らの力でもたらしたものであの場所に辿りつきたい。
それは絵に描いた餅のような話でなく、かつて誰もがこどものころに抱いた、純粋な気持ちでしかありません。ただいま抱いている気持ちは、こどもの頃のそれとは異なるものかもしれませんが、巡り巡ってそこに立ち返ってきたようにも思います。改めてその場所に立ったときに見えた光景こそが、ぼくを推し進める大きなきっかけになったことは言うまでもありません。
ガラクタ整理も、リーディングも、木育も。
まだまだ、これからです。いまはまだ、発展途上です。
どこまでも伸びていきます。伸ばしていきます。
それが、出来ると確信しています。
その確信を、このような素晴らしい会から、感じ取ることができました。
きょうまでに読んだ本
札幌サドベリークロニクル みんなの才能がひびきあう小さなフリースクールの記録 札幌サドベリースクール発行 私家版
-お知らせ-
・オラクルカードリーディングは、3枚セッションが定数に達したため、1枚セッションを含めて一度受付終了としました。
・ガラクタ整理に関するセッションは現在受付停止中です。
・上記により、対面セッションも年内の受付は終了しております。
・コメント欄を再設置しました(承認制)。