つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

町民ドックを受けた話。

とみーは自分が四十路だとは認めたくない40代 笑。

 

そんなわたしに広報誌で人間ドックの案内があり、対象となっていましたので本日受診してきました。

 

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 イメージとして

 

人間ドック=時間がかかる=げんなり(げっそり)する

 

というのがついて回っていたのですが、思ったよりも時間がかからず(それでも3時間半かかりました)、比較的元気な状態で出勤しました 汗。

 

 

いや、最初はバリウム飲むだの、胃カメラのむだの言ってたんですよ。

それで縮みあがってまして笑

でも結局はそれらはしないことになってました。

はい。確認不足です←

 

これ癖なんですよねぇ

 

詳細な確認をしないっていうの。

 

それで当日あたふたしてしまう。

わかっているのに、やめられない。

 

 

今回はそんな大事になりはしませんでしたが、同じような状況を招くたびに後悔してしまいます。

 

これが治らないのはなぜだろう?と考えますと、真剣に治そうと思っていないことがわかります。そのときが来たら注意すればいいやと思っているくらいです。それではまた高確率で同じようなことをしでかします。耳が痛いですけどね(笑)。

 

 

 

ほんっと、肝に銘じておこう。

 

 

 

検査は比較的サクサク進んだ印象です。

ただ眼下の検診だけが混んでいましたね・・・

それ以外は概ねスムーズでした。

 

名古屋にある医科(系?)大学の研究もあってか、科目によっては細かいデータを取っていたようです。今回はオプションに胸部エックス線を入れましたが、他には無料で記憶力検査だとか、整形外科の検査なども含まれていました。それらは無料と確認が出来ましたので、どうせ長くなるなら~と検診をお願いしました。お蔭でいまの自分の状態を客観的に確認できると思います。

 

 

 

 

 

年に1回ではあっても、自身の身体がいまどのような状況なのかを知っておく必要はあると思います。

 

極論を言えば、どんなにすごい水を飲んでいようと、どんなにすごい力を持っていようと、どんなにすごい体験をしていようと、人間は年齢には勝てない部分があります。そこを過信してしまいますと、自分にはすごい力がある!と思っていましても、末期的な症状を迎えていたりすることもあります。力の凄さ=健康状態ではないということを知らなくてはなりません。

 

定期的なチェックは、健康状態に限らないと思いますよ。

 

 

 

 

 

本日いただいた時点での検査結果は「異常なし」。

これはこれで一安心です。血液検査の結果は後日になるので、忘れた頃にまたこの結果を見つめることになります。

きょうだけではなく、この先も、日常的に自身の身体のことを考えることができるようにならなければ。

 

何故って、やはり「身体が資本」であるからです。決して「金」ではないです。

ほんの数日前までは「何をするにもお金は必要」と感じ、体調がどん底にまで落ちていました。その正しさを痛感していたからこそ、突きつけられる事実に委縮してしまっていました。

 

しかしきょうを過ごしますと、それだけが正解ではないことがわかります。

確かにお金は大事なのです。その前に大事なものがあるだろう?ということです。

その大事なものが「身体」であったり、「ハート」であったりするということです。

これは一生をかけても解決しない問題ではあるものの、さらに深く考えるきっかけとなりました。

 

 

 

 

ここから先は、自分がこの場所でやりたいことをやるための必要な体づくりをしていかないとならないな~と思っています。そのために出来ることをやるというのは、必須条件です。

 

それは何も特別なことではなく、ごく普通のことで実践していきたいです。

 

台所に立ち、家の中の掃除をし、洗濯も行って。

そんな所作こそ、究極のだと思っています。

 

 

 

正直、志半ばで何もできなくなるなんてことは、イヤです。

責任を持つためにも、落ちぶれないこころと身体を持つことを目標としたいと思います。