つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

不自由さを感じさせること

駄文です。

 

 

ぼくたちはどこか束縛を感じさせる組織や人間といった存在から逃れまたは解放され、自由になることを意識のどこかで望んでいるふしがあるけれど、実はそれって叶うことのないものなんじゃないかって思ったんだ。だってぼくたちは自由とはどんなものなのかを確りと説明することが出来るだろうか?自由というものを体現し、その身を以て証明することが出来るだろうか?普遍的な表現でしかない自由という言葉を発するだけで、実はそれがどれほどのことなのかをよく知らないのではないだろうか。そんな愚かさと恐怖を僅かながらに感じたんだ。世の中には楽をして生活をしたいという人がごまんといるし、実際そんな暮らしをしていますよ!といった自称者もいるけれど、空も飛べないし透明人間にもなれない、普段から不自由さを感じているはずなのにただただそんなことに対して目を背けているだけのような気がするんだ。動くことで重さも感じるし、疲れるし眠くなるし腹は減る。自由とはそういった不自由からも解放されることのように感じるんだけどそれは間違いなのだろうか。生きること自体が不自由だとしたら、死んで生きることが終わった時点で自由になるということが言えるけど、それも正しいかどうかはわからない。過去の偉人や現代の自称先駆者がほんとうにいろいろ言っているけど、どれが本当なのかは本当にわからないんだ。ただ一つ言えることは、不自由さから抜け出すことを目的とした色んな誘い文句は誤りだと思う。もしくは間違いだと言ってもいい。だってゆりかごから墓場まで不自由さを感じ抜いていると思うから。自由になろう、というのは、申し訳ないけれど向いている先が違うように思うよ。