別れをどのように受け止めていくか。
今年1年を振り返りますと、有名無名問わず、多くの方が逝かれたと感じています。
ましてや今年は新型コロナの脅威にさらされました。
改めて、お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。
この年齢になると、ひとつやふたつ、別れの便りが届きます。
若い頃は、無縁だと思っていました。
年齢を感じさせる、現実のひとつです。
今年は病気療養中の叔父が亡くなり、家人の叔母もこの世を去りました。
お世話になった人も次々に逝く、そんな時代になってしまいました。
もどかしいと思うのは、新型コロナの影響下、葬儀等にも駆けつけることが難しくなったこと。先方も気を遣い、年末のはがきで知らせるというケースが顕著でした。
だからなおのこと、状況が良くなったときには、お線香とお酒を携え参拝したいと思っています。そんな日常が戻ることをただただ願うばかりです。
今生の別れもあれば、喧嘩別れのような離れ方もあります。
思い返せば後悔しか残らない出来事ですが、その人とはもう逢うこともないと考えると、死者となった人との別れとは少し似たようなものがあるかもしれません。
これまでの経験から言えることは、別れの際は不思議と「足踏みをしてしまう」ことが多かったように思います。動くべきときに動かなかったり、今にでも動きたいときにも関わらず、悪天候などの影響で動くことが出来なかったり。そのインターバルをあけた先に待っていたものは、確定した別れでした。
現実となった別れを前にすると、いろんな感情が起こされます。
しかしもう、別れを「巻き戻して」、別れの前にすることは不可能です。
それが避けられたことだとしても、避けられなかったことだとしても。
結果として訪れた別れは、その人にとって「必要な」出来事だったのではと思います。
自分自身、別れを経験することでどうしようもなく後悔した経験がありますし、これはもうしょうがない、と、ある程度割り切ることが出来る別れがありました。その違いは、単純に別れた人に対する思い入れの違いになると思います。しかしそのほかにも重ねていく年齢や環境の変化が加味され、そのような心境を生むという場合があります。
現在は移動手段が豊富で、1日あればほぼどの場所でも行きつくことが可能になっている時代です。反面、自分の親の世代になりますと難しくなります。ほんの50年前でも、移動手段は大きく異なっていたと思います。
昔の考えでは、故郷を離れることは今生の別れを意味したそうです。
それだけ移動が大変だということ。そして、置かれている環境の影響からだと思われます。
ぼく自身も故郷である札幌市を離れました。車で2~3時間で移動できる距離ではあっても、何かあったときにはすぐに対応することが出来ない確実な距離になります。ただこの距離は、別の何かを生みます。ただ黙って別れのときを待っているのではないと思っています。
別れは辛く、悲しく、これまでの記憶が想起されるものです。
そのような経験を与える世界は、そんなに優しいものではないのかもしれません。
ただ大事なのは、どのように受け止め、何を忘れないでいるかにあるのではと思うのです。