つたわりとどけ。

日常と非日常のはざまから、伝え、届けたいことを個人で探求し、実践します。

令和3年1月の読書感想文④ 孔丘(こうきゅう) 宮城谷昌光:著 文藝春秋

お正月休み期間中に読み切ることはできませんでしたが、この作品を手に取ってよかったと思います。

 

 

 

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孔丘(こうきゅう) 宮城谷昌光:著 文藝春秋 八雲町立図書館蔵

 

 

 

時折歴史小説、特に中国歴史小説を好んで読みます。

宮城谷さんは中国歴史小説の第一人者(日本の歴史小説も書かれているはず)です。

最初に読んだ本は「重耳」だったような。

 

 

さてこのお話ですが、孔子のことを書いております。

孔子とはどこか雲の上の人、という印象が私にもあり、その人の生涯など考えたこともありませんでした。この作品は「人間である孔子(孔丘)」の生涯を追求した作品で、これが現代に出てきた意義は大いにあるように思います。

 

 

「失敗がある人」という前置きがつけば、孔子との距離も縮まる気がします。

作品を読み進めていくと、孔丘という人は、「学び続ける人」という印象を持ちます。

しかもその学びには、終わりがないんですよね。

 

 

孔丘の生きざまに感銘し(かなりはしょってますが)、教えを求める人もいれば、「なんだあのうさん臭い奴は」と訝しむ人も出てきます。中には、「あいつは危険だ」と、早い段階での始末(つまりは消すこと)を思案する人も出てきます。最後までそうならなかったのは、周りの支援と、彼に与えられた運命であろうと思います。しかしその人生は順風満帆ではありませんでした。時代の流れに乗って、諸国を渡り歩く生活を余儀なくされていました。

 

そんな中で、孔丘を厚く用いようとする動きが出てきます。

しかしそれもそれぞれの思惑があり、実現とは遠い結果に終わります。

他の人からしたら、孔丘は「完成形」に近い人のはずなのですが、こぞって重用しません。現代はその逆です。現代は「完成形しかその場にいてはいけない」という風潮で満ちています。未熟者は早々に杭を打たれるかの如くです。

 

そして作品の中の孔丘は、こんなことを言っていたと思います。

たとえ話ではありますが、ひとつの事業について、行き詰まったときが来たらそれは見直しが必要な時期である。しかしすぐに撤退する理由にはならない。何が良くなかったのかを考え、修正し、再び展開を起こす。この繰り返しが重要である、と。

 

 

 

見切りは確かに必要ですが、現代の風潮として、事業等の感触が良くなければ

 

「これは既に終わっている」(どうやらオワコンと言うそうです)

 

と、それを切り捨ててしまう動きがあります。

 

となると、切り捨てた以上は、もうそれについては触れないしやらないというのが常であり、戻ることはありません。許されないことだと思います。

 

 

しかし現代であれば、そのようなことを言っていたとしても、再び世間の耳目を集めるようであれば、「今はコレが熱い」と言ってのける流れがあります。

 

それは単純に言えば、事業を展開するものとして、定着していない、と言えます。

 

 

このころに生まれた言葉は、お金や地位以上の価値があると感じています。

 

 

著者の宮城谷さんはあとがきで、参考図書の一部として、

 

孔子伝 白川静:著 中公文庫

孔子 加地信行:著 集英社

 

論語

吉川幸次郎:著 朝日新聞出版

金谷治:著 岩波文庫

貝塚茂樹:著 中公文庫

湯浅邦弘:著 中公新書

 

があるとのこと。こちらにも目を通したくなる。

 

 

最後に文中で、

 

学んだのにそれを実行できないことは病である

 

といったことばがあります。

 

 

実行できないのか、実行しないのかは人それぞれではあります。

貧しさは収入が少ないことを指しますが、本作品ではその貧しさを恥じません。

ここでの優先順位は

 

学 > 富

 

なのです。

 

 

現代はそれとはかけ離れた場所に来てしまいました。

 

 

常に完璧なものを求め続ける世論は正直疲弊していると思います。

謝ろうものならその座から引きずりおろしてやると言わんばかりの諸々が飛んできます。

そこには「失敗は許されない」という土台があります。

 

どのような職場でも失敗はあってはならないものではありますが、皆無ではないはずです。自分が失敗する可能性もあるわけですが、それとこれとは別の話にし、他をその場から蹴落とすことにしか執心していません。

 

もし現代日本に孔丘がいたならば、もうこの国を離れている、と思います。

 

いつまでこの国を続けているのだろうか。

 

 

 

孔丘の生涯に最敬礼をしながらも、この国を変えるには、と思わせた作品でした。